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家で寝ていてくれた方がいい。


「ノンポリ」って言葉を久しぶりに見た。

英語の「nonpolitical(ノンポリティカル)の略で、政治運動に関心が無いこと、あるいは関心が無い人。元は1960 - 70年代の日本の学生運動に参加しなかった学生を指す用語である。政治にまったく興味を持たなかった人だけではなく、政治問題に関心はあるものの、次第にセクト化・過激化していった学生運動を嫌い、特定の党派に属することを拒否した人々(ノンセクト・ラジカル)なども含まれていた。

オイラだって、セクトとかオルグとかって本当の意味では知らない世代だから、この言葉を見て正直驚いたの。

その元の記事はこれなのね

おおよその論旨は

□ 権力批判や反対の声だけが「政治的発言」扱いされている。
□ 権力批判への攻撃が「中立」「ノンポリ」を自認している人たちの間から出てきていること。

□ 想田和弘監督の、糸井重里の原発にまつわる言説を批判する文脈で「ノンポリ」の問題点についてツイート。
〈この見えにくいけど存在する「無色透明の政治性」が、実に厄介なのだと思う。それは早野氏と組んだ糸井重里氏にも共通する。彼は自らの高度な政治性を、ノンポリ的トーンや一般的に「政治的」と言われる言説を徹底的に避けることで覆い隠す名人である。だから彼に対する批判は党派的に見えてしまう。〉
「政治発言するな」という言葉のもつ強烈な政治性と危険性がもっと自覚されるべきだろう。(編集部)

つまり、安易な批判への警鐘よね。(詳細は直接読んでくれた方がいいけどね)

◇◇◇

気になったのは、その主張の是非ではなくてこれに関した基礎的な構造なのよね。

今時はネットのおかげで誰でもが容易に政治に関われるし、大多数の中立層もその政治性を否応なく影響を受けてしまうこと。
そして、世間一般の無関心層や無党派層のうちの消極的な人も、広義な意味での「ノンポリ」に含まれるんだろうなということ。

選挙や住民投票などは、住民の権利なのよ。
最近は不在者投票の認知度が上がって少しはマシになったと言うもののまだまだ無関心で、投票率なんかは大したことがないからさ。

政治がつまらないとか、茶番だとかと白けてしまうのは仕方ないかもしれないけれど。そんな政治を許してるのは住民自信だと言うことだからね。
その程度の「民度」だっていう証拠だからさ。

少なくとも大多数の「(ネオ)ノンポリ」の責任だと思うわけ。

中立とか中庸とかって聞こえもよいし、まったくの無知でも「(似非)意識高い層」っぽく偽装することも簡単だからさ。

でも、実際のところ「体制」に取り込まれているんだということに気づいてないのね。「yes」「no」を言わないのは消極的な「同意」だってことよ。

もし、本当に中立ならせめて無効票を投じないといけないし、棄権ってありえないし。

いつかどこかの党の代表が、

「選挙なんかに来なくていいから家で寝ていてくれた方が良い」って言ってたのはこういうことだってね。

分かっていなかったなら、そういうことだってことくらい知っておいてからの「中庸」でしょう?

この世にはさ、知らないではすまないこともたくさんあるんですってことよねw

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