江戸はネットワーク
平賀源内はある文集で、こう書いたそうです。
論語の「徳、孤ならず、必ず隣有り」(意味:徳のある者は孤立しない、必ず同じ類の有徳の者が出てこれを助ける)をもじっており、「徳ある者も集まるが、馬鹿もまた集まり助け合う。天明文化は、賢人ならぬ馬鹿が寄りあつまって出来た文化だ。」という意を込めています。
「エレキテル」のイメージが強い平賀源内ですが、同時にネットワークを文化/学問の進歩に応用した人でもあります。
今回は、平賀源内も活用した江戸のネットワークについて書いていきます。江戸文化研究者の田中優子さんの著書3冊を、参考にさせて頂きました。
平賀源内とネットワーク
1756年、平賀源内は、故郷の讃岐を離れて江戸へ移ります。
江戸に移った彼は、本草学(薬学)を学びつつ、薬品会を開催し始めます。薬品会とは文字通り「薬品をもって友を会する」を意味です。
書斎に閉じこもって文献をあさるだけでなく、実際に動植物鉱物を集めて、皆で分類したり、検討すべきだという意識から生まれたものです。
ところが、この薬品会、最初の数回はうまくいったそうですが、回を重ねるごとに参加者も出品数も少なくなっていたそうです。
追い打ちをかけるように、大阪の本草学者・戸田旭山が百名の本草家を全国から大阪に集めて、大薬品会を行い、成功を収める。
この事実に源内は少なからずショックを受けたと思われます。
これを受けて1762年。「第五回東都薬品会」の引札(ビラ)が全国に撒かれます。大阪に対抗したのか、タイトルに「東都」が付されています。
参照:第五回東都薬品会のプロモーションのため平賀源内がつくったチラシ(拡大画像)
品物の送料は薬品会がもつこと、会が終わったらすぐに送り返すこと、西国中国地方から送っても2週間弱で到着すること、など細やかな情報がこの引札に書かれています。
この第五回東都薬品会では、取次所という仕組みを使いました。全国25カ所に取次所を設置し、遠国の出品者には、そこに預けてもらうことにしたのです。
結果として、この第五回東都薬品会では、全国から千三百種の動植物・鉱物を集めることができました。
全国にネットワークを張り巡らせるシステムを用いることで、それまでとは格段に規模が大きい薬品会を実現することができたのです。
連とは?
平賀源内が利用したこのネットワークは、俳諧のネットワークを応用したものでした。
俳諧は、五七五の発句に七七の付句をし、また五七五の第三句をつけて、最後の挙句まで続けていくゲームです。この付ける句に点数をつけて勝敗を決め、点数をつける人は点者と呼びます。
俳諧の競技人口が全国に増えていくにつれて、点者のところに作品を集めるシステムが必要になりました。これが先述の取次所にあたるわけです。
各取次所を中心に、俳諧のネットワークが全国に広がっていきました。
また、俳諧には「連」という仕組みが重要な役割を果たしていました。地理的に近い作者たちが一つの連として緩やかに連なり、別の連とも関わりながら活動していたようです。
組織として強固に繋がるわけではないが、作品制作にあたっては緩やかな連なりが必要だった。
連の無名性
「連」の特徴の一つとして、「無名性」というものもありました。
連の中では、今でいうところのサブ垢に近い名前を持っているわけです。そうすることで身分や役割を超えて活動できる。
今の時代以上に、家や身分や役割に縛られていた江戸時代だからこそ、こうした「無名性」を前提とした場所が必要であり、それが結果として文化の江戸文化の中心になったのかもしれません。
個人的な感想
今の時代、SNSが出てきたことによって、サブ垢という概念がかなり一般的になってきているし、そこから生まれる文化もあります。
その一方で、「一度でも社会的に大きな失敗をしたら終わり」的な閉塞感もある。
個人的には、一旦「誰が」とか「会社が」とかいった主語を取り払って、コトに取り組める世の中の方が良いなと思いました。
個人的に好きな話として、DeNA南場智子さんの講演「ことに向かう力」があります。
自分が属するチーム/組織の評価を気にしてしまうことは僕もあります。それでも、やはりヒトよりもコトに向き合うべきなのかなと。
コトに向かって、人々が連なり、動かし続けることが、新しいコトを生むと思いました。
【参考文献】
【関連note】
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