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問題やミスは起きるものだから。憎むのではなく、受け止める組織を。

手を尽くしても失敗することがある。悪気はないのにミスしてしまうことがある。ミスる→フォローでメンタル削られる→ミスる。そんな負のスパイラルに入ることもしばしば。

最近、こんな記事を読みました。

組織を問題が起きないように、失敗しないように、失敗しないことが前提として運営するのか、問題が起きるのは当たり前、失敗も付きもの、という前提で運営するのかでは、組織の在り方は大きく変わるなぁと。

もちろん職業や職種によっては、ミスや失敗が絶対に許されない仕事もあります。「失敗やミスは自己責任だろ!」的な反論もあるかと思います。

それでも「ミスがないか睨みをきかせる組織」より「ミスしてもカバーが効きやすい組織」の方が個人的に好きです。


上記の記事内では、こんな本が取り上げられていました。

精神科医の著者が、「自殺希少地域」の一つとして取り上げらている旧海部町を訪れ、その地域やコミュニティーについて考察しています。

記事を読んだ後、すぐこの本も読んでみました。


人間関係は疎で多。緊密だと人間関係は少なくなる

「自殺希少地域」というと、みんな温かくフランクで、地域全体がコミュニケーションに溢れている。そんなイメージがあります。

ところが、近所付き合いに関する意識調査では、近所付き合いは「立ち話程度」「挨拶程度」と回答するひとが全体の8割だったそうです。

筆者は次のように分析しています。

旧海部町の近所付き合いは緊密ではなくあいさつ程度立ち話程度の関係で、それでいて人間関係の数は多い。自殺の多い地域では緊密でとても助け合う関係にあるが、仲間どうしの数は少ないという。
多様であることを包摂できていたならば、違う意見があってもそれを排除しない。一方で人間関係が少ないと、違う意見があるとそれが目立ち、意見が異なるとその意見は排除されやすくなる。仲間どうしはみな同じでなければならなくなる。

コミュニティーに緊密な関係を求めれば求める程、人間関係は少なくなり、異質な意見は排除される。そこに入れない人は孤立する。

逆に、挨拶程度のコミュニケーションだったとしても人間関係が多いコミュニティーでは、多様性が包摂されている。むしろ挨拶程度のコミュニケーションだからこそ、多くの人と関係性を維持できるのかもしれません。

そして、多様性のあるコミュニティーでは、多様な問題・ミス・失敗に対してのアプローチも多い。まあそういうこともあるよね。みんなで考えよう。どうしようか?ぐらいの温度感。


人生は何かあるもんだ、で生まれた組織

そう考えると、結局「多様性は素晴らしい!」的な話なのかな?という気もします。コミュニティであろうが、組織であろうが、多様性が維持されてればOK!みたいな。

多様性だけでコミュニティーの問題が解決できるなら、みんな苦労しないはずです。個人的には、こうした「疎で多」のコミュニティーの弱点には、以下の2点があると考えています。

①多様であるためにバラバラ。すれ違いが多発。
②軽度の問題なら「疎で多」の人間関係でも解決しやすいが、深刻な問題は解決されづらい。

それに対して、旧海部町には「人生は何かあるもんだ」という考えのもと、「朋輩組」という組織があります。この組織の特徴として、筆者は以下の点を挙げています。

・組織の発祥は約400年前。(旧海部町は)もともと次男三男たちが働く場所や生きる場所を探して集まって生まれた地であり、みな基盤がないゆえにお互い助け合わなければならなかった。
・組織の構成人数は8人~18人。同世代で構成される。町内会ごとではない形。入会脱会は自由意志に任される。外から来る人が多かった地域ゆえに出入り自由になっているという。メンバーは様々な知識を持っている。
・この仲間は、家族や親戚と同じくらい強い絆があるという。家族や親戚、あとは、町内の人には言えないこと(お金のトラブル、離婚にかかわること、人生の一大事)を相談するときに集まる。
・同世代で構成された組織は、それぞれ知識や技術が蓄積される。そしてそれは伝承され続ける。若い組織が年長の組織に相談することもあるが、組織としては互いに対等な関係が保たれている。

ここで特に重要なのは、朋輩組は問題が起きることを前提とした組織であるということです。筆者は「問題が起こらないように見守るための組織」として比較してこのようにまとめています。

チームやグループが地域で作られるときは、何かの困りごとに対して作られる。このとき二つのタイプがある。問題があることを前提に問題があったときに動く組織と、問題が起こらないように見守るための組織だ。
問題が起こることを前提に動く組織】
・変化に対応することを主眼とするから、ルールは最小限
・問題解決のために柔軟かつ機動性を重視
・再び問題が起こることを構造の問題と考えて、再発防止に努める
【問題が起こらないように見守るための組織】
・管理や監視が強く、規則が多い。何か問題が発生したときの問題解決能力は弱い。問題が解決した後で再び問題が起こらないようにまたルールが生まれる。結果として組織の機動力は下がる
・問題が起こったときに、あんなに起こらないように準備したのにどうして起こったのか?と責任問題に変わっていく。どんなに準備しても問題は発生するものだというのに悪者探しが始まりやすくなる
・問題が起こることそのものが悪いことと考える

旧海部町では、「疎で多」の人間関係を維持しつつ、朋輩組を置くことでクリティカルな問題に対しては柔軟かつ機動性をもって対応しています。


問題が起きることを前提とした組織」を実現するには?

では「問題が起きることを前提とした組織」づくりを可能にするものは何でしょうか?

必要性:生活や仕事の基盤に紐づいていること(お互いに助けあわなければならない必要性があった。必要性がなければ続かない可能性が高い)
構成:組織やチームの人数単位が少ない(⇔組織の規模・チームの単位が大きい場合、問題発生の度に対応するのは難しく機動性が落ちる)
関係性:普段の関係性は疎で多。問題が起きることは前提で、問題が起きたら解決に集中。

もちろん組織やチーム運営には状況や立場によって、色々な反論があるかと思います。

「いちいち問題発生の度に対応していられないから、ルールは決めるべき」「小さな規模の集団を維持するのは難しい。スケールしていくからこそ存続できる」「そもそも問題が山積みで、こんなこと言ってられない」

ただ、少なくとも問題や失敗が起きることを減点カウントしている限り「問題が起きることを前提とした組織」づくりはできない。問題や失敗は起きるものだし、上手に生かせば組織の財産になるはず。そう考えられる組織やチームを増やしていきたいです。


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