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"詩人計画”(岩崎宗治「現代イギリス詩学」英潮社)

「詩」とは何?

「小説」とは?

漠然としたイメージのままでした。


「作家」とは?

文章を書くことでお金を得る人?


ずっとピンと来ませんでした。


個人的な話になりますが、私は"物書き志望"で、小説を書いてみたり舞台の台本を書かせてもらったりしてきたのですが、ずっと右往左往で、どこに向かったらいいのか分からないまま漠然と過ごしてきました。

このままで良い訳はない、と常に思いつつ、しかし無理に気持ちが乗らないことをするのも逆効果に思えて(実際に、身体に拒否反応が出るまで書いてみたこともありますか何も得られませんでした)、すごく狭い範囲をぐるぐる歩きまわっていた感じです。


今まで小説技法について書かれた本は何冊も読みましたが、

「小説」、「詩]、そのものは、何か?

に、ついて調べてみようとは思っていませんでした。

きっと、答えがない、と決めつけていたのだと思います。

しかし色々試しては失敗し、モチベーションも年単位で低迷したりして、私にとっては、最後探すならここだろう、ぐらいの気持ちでした。

とても個人的な問題で恐縮なので数か所だけ

日常生活において、われわれの中には常に数多くの(意識された、あるいは隠れた)衝動がはたらいている。原稿を書いている人間も、本を読んでいる人間も、心の一部分ではそういう仕事をはやくやめてしまいたいと思っている。が、仕事をやめて遊ぶとか、寝るとか、食べるとかしたいという衝動を切りすて、あるいは抑圧しているのである。ところが、詩人は、このような抑圧をほとんど行なっていない。詩人は、喚情語を駆使するそのすぐれた能力によって、矛盾葛藤する衝動群に、秩序と平衡を与える、つまり衝動を組織化し、体制化する。このような衝動の調和的な体制化を形づくることのできる詩人は、ほんとうの意味で人生をよく生きる人であり、人間にとって価値とはこのような意味での衝動の体制化の優劣である。したがって、反対衝動を切りすてて成り立っている「感傷的」な詩は、アリストテレース的に言えば「哀憐」と「恐怖」という(一方は近づき、他は遠ざかろうとする)対立衝動を統一的に和解させる悲劇よりも価値の低いものである。すぐれた文学作品とは、詩人が実現したすぐれた体制化の記録であり、それを保存する器である。作品を読むとは、そのような体制化を作品から受けとることである。


詩人、小説家は、(中略)言葉によって表現するというよりは、言葉を探しながら、手さぐりで進むのである。言葉は、表現の手段というより、むしろ現実を捉え定着させるための手段である。

「イコノグラフィーについて」の箇所

一般的に言って、あらゆる文化はそれぞれ独自のイコン体系をもつ。それは、キリスト教文化の場合、人物像ばかりでなく、花や樹、鳥や獣、季節、さまざまな学問や美徳や悪徳の形象を含んだ象徴体系である。換言すれば、イコノグラフィーが究極的にめざすべきものは、それぞれの文化の本質の投影あるいは肉化としての象徴体系であり、イコンとはその象徴体系を構成する個々の象徴的イメジのことだと言っていいい。もともとイメジとは、人間の現実認識の始原的な形態として形成されるものであり、(略)


この他にも本書では、T・S エリオットを例にとった、詩の解析などが分かりやすく書かれています。


この本以外にも、「詩」について書けれたもの(詩論)が結構あることに驚きました。

(再び、個人的な話になりますが)

これまで、ただ感傷的に読むか意味不明だとすぐに本を閉じていた自分が稚拙だったと痛感させられたのは勿論ですが、やっと足場が見つかったという気持ちが大きいです。

(きっと、はやい人だと小中学生で気づいてるのかもと、一瞬思いました。)

ぼんやりと希望していた、”自分の落ち着ける場所(生活)”に身を置くという計画も、現実的にイメージできて来そうな気がしました。

来週になって、あのときの感覚って何だったっけ、、となるのはすこし不安ですが。


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