生きるを考える(1)
普通に生きるってなに?
普通って言葉に嫌気がさす。
普通じゃなかったらダメなの?そう解釈せざるを得ない。
もしもあるのだとしたら、自分は普通になんて生きてきてない、そう反発したくなる。
それぞれの人が、それぞれの普通を持ってる。
それは価値観という名の個性としか言いようがない。
何かの物事にYESとNOがあるなら、
何かを思う気持ちにYESとNOがあるなら、
生きることに対してだって今の時点の感情、
YESとNOがあって当たり前なんじゃないの?
生きたい人が立派で、生きたくない人はそうじゃないって誰が決めんの?
どう思ったっていい。思ってたって実際生きてる。
きっと、そうやって感情に善し悪しを付ける人が
ネガティブを完全に打ち消してるような人なんだって最近は気付いた。自分もそう思い込んでいた。
もし目の前にいる人が生きたくないって泣いてたら
あなたはどうするの?
私ならまるっと受け止めたくて、全部聞いてあげる。
テーマこそ大きいかもしれないけれど、
結局は悩みに対しての拒否反応には変わりない。
じゃあ消えたら?なんてそんな人いないでしょ。
そう思い込んでしまうのなら、それは信じられない心。
いつにも増して拒否反応がすごい。
なぜだか分からないけれど、拒否が生んだ拒否。
受け入れるしかないし、受け止めるしかない。
振り払うのではなくて、抱きしめる気持ちを持っていたい。自分が一番優しくできるはずなんだ。
欲しいのは安心?励まし?
分からないなりに、何かが見つかるまで人は歩んでいくんだね。
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