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感情は自分そのもの

ひんやりとした朝。
今日も静かな時間が漂って浸っていた。

今思えば、そんなこと思っちゃいけないような感情を
たくさん消してきてしまったのかもしれない。
自分の中の雪解けはほとんど溶けきってきた。
最初から存在していた暖かい日差しが見える。

言っちゃいけないことはあるけれど、
思っちゃいけない気持ちはないのだと知って、
少しラクになった。本音に少しずつ近づいた。

自分で自分の気持ちが分からない時、
近くにいる人の理解が感情を教えてくれたりする。
寂しかったんだね、と慰めてくれたり
嬉しかったんだね、と一緒に喜んでくれたり
悔しかったね、イライラしたね、楽しかったね、
そうやって人と過ごす感情は何倍もの気持ちを持つ。

言われることがイヤなんだね、と言われてハッとして
面白いね、と言われるのは嬉しくて
よく分からない、と言われるのは傷ついた。
コロコロ変わる機嫌も怖くて、適応できなくて、
気づけば自分もそうなっていた。

自信がないんだね、と言われると少し戸惑った。
これは自信の値なの?そう思った。
でも、仕草や言葉は他人ではなく自らつけるもの。
たとえ自信がなくてもあるように見せられるさ、と
キミが言ったことは何だか勇気に変わった。
すべては知性なのだなと、そう思ったりもした。

たまに顔文字を使うことに迷う時がある。
涙が出るのか、笑っているのか、
表情がいくつもある中で、的確なものを選ぶのに
なんだか違和感を覚えた。
あとあとから違ったようにも感じていたりした。

環境そのものなのか、人そのものなのか、
当時、自分は感情を失っていたことの現れだった。
それはまた、連鎖なのかもしれないけれど。
それとも、そんなものくだらないと見下したのか。
関わるべきではない、直感が反応するようになった。

なんとなく、居たくない。
なんとなく、帰りたくない。
そんな気持ちはとても正直なのかもしれない。

でもそれから不思議と、
ネガティブを浮かべることはなくなった。
無か有かだけで、否定なんてどこにもなかった。
そんなものがあるのだとするならばきっと、
わたしは否定するその気持ちを非難する。
それは自分の価値であり、自分を守っているもの。

なんだか、いくらでも書けそうな気持ちになった。
気持ちを出す場をありがとう。
読んでくれてありがとう。

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