能動的調理法
出来上がった完成品を見て、
その背景はそっくりそのままそこに残るのだと
改めて気付かされて思い知る。
どれだけ目をかけ、手を加えたのか、
あるいはそうして来なかったのかがよく分かる。
だってそう生きてきたから、としか言えないよね。
楽しさや面白さは工夫があるからこそであって、
ただ有耶無耶に作ろうとしたって
出来上がるのはまるで具なしラーメンのようなもの。
トッピング次第でどんな料理にだって生まれ変わる。
適当につけ加えたところで、見かけだけの集合体。
それでも同じように食べ、生きているのだ。
出来上がりがその人を作るとは、その通りかもしれない。
例えば目の前にたくさんの食材が用意されたとして
自分はどう調理するだろうか。
たくさんの加工品へと導き出せる人もいれば、
返って無駄にしてしまう人だっている。
食材一つでこんなにも人生を語れてしまう人もいる。
受け取る能力はどんどんと磨かれていく一方で、
与えられる能力は一向に磨かれない。
能動的行動の大切さを知る機会になるだろう。
言うて、ここは文字の中。
いくらでも語れて当たり前な気もする。
頭の中で出来上がるものと、実際に出来上がるもの、
想像や空想では語れないことを物語る。
逃げも隠れもできなくなってからの人間性。
そうやってどう向き合っていくのかが、
人生の生き方なんだと思う。