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元気がなくても大丈夫

元気のやり取り、やめてみたっていい。
何がどうなら元気なのか分からない。
おはようレベルで聞かれても、挨拶とは違う。
それなりに生きれるなら、何も問題ないでしょう?

素直に言ってみた。別に元気じゃないよ、と。
ついに捻くれたか?
いや、ありのままで見てほしいだけ。
それでも、愛されていたいだけ。

何を返しても動じない人に話すのは気が楽だった。
驚くけど、慌てないで冷静に話してくれる。
笑ってもくれるし、怒ってもくれる、助言だって。

否定される、怒られる、嫌われる、敵視される。
全部がきっと生きていく上で人が恐れていること。
だから上辺とか偽りとかも平気でしあうけど、
長くは続かない。どこかで気付くんでしょう?
それより知っていてくれるほうが楽でしょう?

身体の状態でしか見てくれなかった健康観察。
毎日言わされた、謎の”はい元気です”
その子の気持ちはどこへ?本当に元気だった?

でもやっぱり大人になってもよく分かる。
身体と心は同じくらい大切にしないといけないこと。
身体が元気だろうと、心が作れないと折れていく。
心がいくら元気だろうと、身体が作れないと弱っていく。
これも同時進行かと、守りじゃなく作ることを知る。

”健康”、”元気”、”朝”
あまり好きになれない漢字のままだった。
特別弱い子でもなければ、強い子でもなかった。
病気をして、怪我をして、ようやく知るありがたみ。

”長寿”
さすがにそこまで見据えては生きていない。
生きることが楽しそうなおじいちゃんおばあちゃんだからこそ、命を繋ぎ続けるのだろう。

健康観察、そして、健康管理。
子どもだからじゃない、これこそ大人の役割なのだと
どこかで思うそんな朝。

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