マルハラスメント
X経由で、最近は「マルハラスメント」なる言葉があるのを知りました。
うーん、どこのメディアが仕掛けたんだ?と思わないでもないです。
句点をつけることの是非よりも、私はこの言葉を生み出した仕掛け元が気になりますかね。
ちなみに、私は「句読点」のない文章をちょくちょく見かけています。
それは、歴史小説執筆のためのリサーチ作業。
意外?かもしれませんが、明治以前の文章は、句読点が殆どないのですよ。なので、明治以降に「活字化」された史料でも、句読点が打たれていないケースが非常に多いです。
ちなみに、国語文法として句読点の公式ルールができたのは、明治39年(1906年)。
文部省大臣官房圖書課の「句読法案(句読点法案)」がきっかけだったそうで、案外遅いという印象があるのではないでしょうか。
たとえば、『泪橋』の原案となった「藤葉栄衰記」。
ご覧のように一切句読点がないので、文章の切れ目を探すのが大変です。句点(、)はともかく、句点(◯)がないのはかなりきつい。
あとは、「直違の紋~」の参考資料にした谷干城遺稿も、句読点が見られないですね。
同じく、こちらは「旧夢会津白虎隊」より。大正15年、白虎隊市中1番隊の一人だった永岡清治氏によるものです。
送り仮名がカタカナのパターンも、戦前の文書ではよく見られます。
が、これも句読点がないので、読みにくい……。
また、読点の代わりに句点が使われているケースもよく見られ(逆も然り)、読解するには割と読み手の国語力も問われます。
下図は、「国の磐根~安部井磐根伝」より。明治37年出版(佐倉孫三著)。
二松学舎大に縁があり、漢学者としても知られている二本松藩の郷土史家でもありますが、現代の私達の感覚からすれば、非常に読みにくいと感じるのではないでしょうか。
誰が「マルハラスメント」やら「おばさん構文」などの言葉を編み出したのかは知りませんが、これら昔の「読みづらい」文書と一度向き合ってから、述べてほしいものだと感じます。
恐らく、一過性のブームで終わるような気がするのですけれどね……。
そして、俵万智さんの句がお見事。
うんうん、日本語はやはり「マル」で終わらないと、締まりませんよね(^^)
私も、時折意図的に顔文字や絵文字を使うことはありますが(雰囲気を柔らかくしたいときなど)、もちろん案件などの公式文書は句点で締めます。
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