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ネットによる悪意がなぜ強いストレスになるのか?

人間の生物として進化していく過程において、人間は特に人間関係の状態に過敏な人間を選んだ。
何故、進化選択において人間関係に過敏に反応する人間を選んだかと言うとその人が生き残りやすいからだ。
他者から嫌われているとか批判される事に対して人間が群れの中で迫害され、群れを追い出され孤立することは
過去の人類においてはほぼ死ぬことを意味する。グループやコミニティからの排除はそのまま死に直結したのだ。
直接殺されなくても群れから離れて1人で行動するのは自然や他の生物の脅威によりほぼ命が助からないからだ。
また群れの中での悪意や殺意から身を守るためにも過敏に自分への批判や悪口は感じった方がいい。
グループやコミニティにおいていつ人々が異端とか犯罪者などの理由をつけて自分を迫害すると限らないからだ。
このような進化の過程上において人間は悪口や批判に過敏になっていった。過敏に反応する事で危険を察知するためである。
ただ、同時に身の危険を感じる事は強いストレスになる。危険だからその場から逃げろと本能が叫んでいるからだ。
現代社会ましてやネットにおいて実際に自分の身に危険が及ぶようなケースは極めて少ないがしかしそれでも進化の過程上に得てきた自分への攻撃、批判や悪口に対するその場から逃れろ!と言う警告が人間に強いストレスを与える。
また、一個人の人間が多数の悪口に晒されると言うケースはかつての社会において集落やコミニティから直接攻撃される最終段階であるから
よほど状況が悪化しないとそうそうない事なのだ。しかしネットではそのような状況が容易に起こり得る。
自分の意見や書き込みに対して怒りや批判、時に殺意すら容易に書き込まれる。しかし、これらはネット人口に対してほんの一部の意見に過ぎない。むしろそのような意見は少数派であるはずにも関わらず。まともな意見の人間は往々にしてサイレントするものである。
極端な攻撃性のある意見や自分達は不当に扱われてると言う意見、また誰それは不当に優遇されてるなどの意見の方が声が大きくなる。またそのような人々はあらゆるアカウントを総動員して多数派工作をする事に躊躇がない。
そのために自分がたくさんの人々から攻撃されてると錯覚してしまう。強いストレスを受けることになる。場合によってはそのストレスから自殺を選択する人もいるのだ。
そのような強いストレス、批判攻撃からどうやって対処をしたら良いのか?それは自分が批判されているとわかった時、もうそれを見ることやめることだ。
これは困難なことである。人間は危険を察知したら自分の状況を知りたくなるのだ。しかしそれを見てはならない。見なければそこに悪口は存在しないのだ。見なければそこに命の危険は存在しないのだ。
そしてもっと実生活の楽しいことを楽しむのが大事だ。ネット上でどんなに自分が炎上していたとしてもそこには私は存在しないのだ。戦わなくていい相手と戦う必要はない。
またそのような影の人々は表に自分が出されることを恐れている。自分が恐れてる以上に相手は自分を恐れているかも知れないのだ。
あなたが法的に相手を黙らせることもできるし、1人1人吊し上げることもできる。ただそれもまた修羅の道であり、激しいストレスとの戦いになる。
人生の選択は自分でするものだ。戦うも逃げるも自由である。戦うのも必要な時もある、しかし常に戦い続けるのがベストな選択ではない。その事を忘れて日常を楽しむ。それ以上に相手にとって打撃となるやり方はわたし存在しないと思う。
何故なら相手はあなたにストレスを与えることを目的としてるからだ。あなたが存在しない空に向かってひたすらあなたの悪口を言い続ける。虚しさを理解するだろう。
SNSは明らかに負の側面がある。それが楽しいのはわかるがそれが無い方がもしかしたらあなたの人生は幸福である可能性を考えてほしい。

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