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青年は失った記憶を取り戻すことができるのか


夢野久作の作品を読んで、巻末にある解説なんかを読むと、夢野久作の代表作といえば『ドグラ・マグラ』が有名だ! とよく見るので、いつかは読んでみたいと思っていた。
そもそも「ドグラ・マグラ」ってどういう意味? って感じだったんですが、作中でちゃんと解説されていました。
「ドグラ・マグラ」とは、明治維新前後までキリシタンが使う現魔術のことを言った長崎地方の方言だそうで、今でいうところの手品とカトリックといった意味なのだそう。
漢字に当てると「堂廻目眩」「戸惑面喰」のような感じになるそうだ。
そしてこの『ドグラ・マグラ』は作中にも登場する。
精神医学の世界に新しい概念を生み出そうとする新鋭の精神科医・正木博士が編纂したある資料の名前に、この『ドグラ・マグラ』が使われている。

『ドグラ・マグラ』は解説やレビューを見てみると、非常に難解だ、という前評判をよく聞くので、そんなに難しいのか、とちょっと覚悟を決めて読むことにした。
そして作中でも「この本は 2〜 3回読んでやっと全体がわかってくる」と言っていて、まさにこれから先の物語の内容を暗示しているかのようにも思えてくる。
前評判でも難しいと聞き、作中でも 2〜 3回読まないとダメだよ、と言われると、余計に気を引き締めてかからなければ、という気にさせられる。
そしていざ読んでみようと思うと、この本、かなり長くて、その量にも圧倒されてしまった。
これだけの量があったら、読んでいるうちに最初の方なんか内容を忘れてしまうだろう。
再読すれば、一度内容は知っているので、細かいところで補完しながら全体像が見えてくるのだろう。
だから、それも踏まえて繰り返し読めよ、と言っているのかと腑に落ちた気がした。
そして実際読了してみて、難解というよりも何が真実なんだろうか、どれを信じたらいいのだろうか、最終的なオチが本当のオチなの? とりあえず本人がそう思っていることが正しいの? と、かなり疑い深くなってしまい、そのオチを受け入れられるかどうかが、読後感につながってくるのでは、と感じる。
前半の半分部分は色々と伏線を張っているような状態で、主人公の青年が置かれている状況、過去の事件、精神科医・正木博士が導き出した論拠などが永遠と続く。
それを乗り越えてようやく後半に入ってくると、物語の核心に向かっていくわけだけど、非常に厄介で込み入った話になってきて、自分が今まで読んできたことは本当なのか? それとも巧妙に作られた空想の物語なのか? と思えるほど、精神を揺さぶらせにかかってくる。
今まで信じていたものが本当は嘘だった、・・・というのは冗談だよ、なんて言われると、主人公の青年が戸惑うように、読者も一緒にどれが本当のことがわからなくなってくる。
読了後は、なんとなく物事を疑ってかかるようになってしまう副作用も発生するほど、とても巧妙に練り上げられている。
これはまさに夢野久作の傑作と言っても間違いないだろうと思える一冊だったし、これほどまでに込み入ったものをよく書いたな、と驚嘆した。
最後のオチが本当だとしたら、この青年は記憶を取り戻すためにどれほど繰り・・・と思いを馳せてしまう。

物語は、主人公の青年が目覚めるところから始まる。
青年は目覚める前の記憶を一切失くしていて、自分が誰なのか名前すらもわからず、ここはどこなのかすらもわからない。
ちょうど読者と一緒に、何の情報もなく世界に放り出されたような感じ。
だから、これからどんなことが起こってくるのだろう、と青年と一緒に歩み出す感じがしてぼくは好きだ。
そんな青年がいる部屋の隣から、少女が「兄さん、ワタシを思い出して・・!」と叫び声をあげる。
しかし記憶をなくしている青年は、隣の少女が妹かどうかもわからない。
困惑しているところへ、ひょろ長くて背の高い医師が青年の部屋へやってきて、「記憶を取り戻したか?」と聞いてくる。
若林博士というこの医師は、青年の記憶が戻ることを心待ちにしている。
何故ならば、この青年が記憶を取り戻すことによって、ある未解決の怪事件の真相が詳らかにされることを期待しているからだ。
果たして青年はどんな事件に巻き込まれ、どんな責任を負っているのか。

若林博士によると、青年はどうやら精神病院の患者として入院しているらしい。
若林博士は、前任であり友人であり亡くなった精神科医・正木博士の一大プロジェクトを引き継ぎ、青年の記憶が回復したその時に、精神医学界の常識を揺るがす実証例として発表することができる、ついでに未解決事件も解決できるとして、青年は重大な使命を背負わされているのだった。
若林博士は、青年にあるキッカケを与えれば、脳が刺激されて記憶が戻るかもしれないと期待し、事件をまとめた調査資料を読ませることにする。
その資料とは、前任の正木博士が発表した論文のようなものをまとめたものと、当の怪事件の内容をまとめた調査資料だった。
その内容は、呉一郎という青年が結婚相手の少女を絞殺したことと、当時世間をにぎわせていた唯物論に対する反論や、遺伝の受け継ぎなどのことが書かれていた。
「脳髄は物考えているところではなく、各身体の期間がそれぞれに考えているのである」という脳髄論や、「胎児は細胞から人間に至るまでの進化の歴史を受け継いでおり、夢に見たり、何世代も前の先祖の記憶を引き継いで生まれてくる」という胎児論に関することが何十ページにもわかって書かれていた。
果たしてこれが少女の絞殺事件と青年の記憶喪失にどう関わってくるのか、そもそもこの青年は殺人犯の呉一郎なのか。
いろんな情報が次から次に流れてくるので、これがどう繋がるのか、頭の中で保留にしておくのが大変だった。
さらに、亡くなったと聞かされていた正木博士は実は生きており、若林博士にいっぱい食わされようとしている、というのもまた事態をややこしくしている。

すごく大雑把に、簡単にまとめるならば、呉一郎青年は結婚相手の少女を絞殺した。
そしてそれよりも前に、自分の母親をも絞殺している。
そして両方の事件に共通しているのが、本人が人を殺した記憶がすっかり無くなっていること。
呉一郎青年が人を殺すきっかけになったのは、1000年ほど前に書かれたある絵巻物を見たことによること。
その絵巻物を書いた人物は、呉一郎の先祖に当たる人物で、絵巻物を見たことにより先祖の記憶や人格が遺伝で受け継いでいたことによって呼び起こされ、一時的な夢遊状態に陥ったこと。
さらに、結婚相手だった少女は、偶然にも先祖が結婚した妻と瓜二つの姿形をしており、妻の家系でもあったこと。
つまり、絵巻物を見たことによって先祖の記憶が蘇り、使命のために女性を殺した。
先祖が身体を乗っ取っていたので、本人は夢遊状態になっていた、というのが専門医のあらかたの意見である。
そしてそんな奇異な状況を生み出したのは、好奇心に駆られた正木博士が自身の主張を精神医学界に一石を投じるべく図った壮大なプロジェクトで、若林博士はそんな正木博士の手柄を横取りしようとしている。
と思い込んでいる正木博士は、若林博士の意のままになりたくないためにあがいてみる、という二重にも三重にも思惑が折り重なっている。
2人の博士が対決している状況の中で、その見方は本当なのかしらん、と考える青年の思考もあり、どれもあり得そうでどれも疑ってしまうようになり、だんだんと精神が不安定になってくる。
これを繰り返せば狂人になってもおかしくないかしらん、と思えてくるような、夢野久作ならではの手法で巧妙に物語を練りこんでくるので、一癖あるミステリーが好きな人にはたまらないだろうと思う。

結構苦労して読んだ前半だったけど、それがあるからこその後半につながってくる展開。
再読すればもっと点と点がつながって理解度が深まると思うけど、ただかなり長いので、読みきるまでにかなりのエネルギーを使ってしまう。
でも一度は読んでみてよかったなと思える作品だった。

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