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承認欲求の制御と上下関係 【アドラー心理学】
「嫌われる勇気【書評】」というタイトルで書き始めたが、 書きたい事が多すぎるので分割することに。この一冊はだれかの人生を一変させるほどの力を持っている。実践することが極めて難しく、メンタリティの極意とも言える思考方法が対話篇として読み易く、没入しやすい文体でまとまっている。何より、個人的に捉えている人生観とかなり近く、本書によって自意識の確認作業をさせられているような、うまく表現できていなかった感覚論を正確な文章表現として手に入れられたような印象を受けた。
前時代では到底受け入れられなかったというこの哲学だが、ー心理学と銘打っているが圧倒的に哲学であるー、多くの著名人が声を上げているように、今の時代、特に日本においてはマス社会から個人の時代、そして集落の時代へと変貌を遂げようとしている現代にこそマッチした思考法ではないか。
リスクとしての承認欲求
承認欲求に関する内容は、仕事で常々感じている事に通じている。まずアドラーに同意することとして「褒めない」ことだ。褒める行為については仕事をする上でかねてより大きく違和感を感じていて、同じチームで同じ目的で働いている仲間に対して明らかにおかしな言動に思えてならない。「褒める」ことで褒められた側は「また褒められたい」といった承認欲求が発生させてしまい、次のアクションは私に褒められるための言動に限定されてしまう。逆を返せば褒められない可能性のある行動よりも、褒められる確率の高い行動をとる傾向に陥るということだ。
これは業務としてプロジェクトで役割分担をしている上で大変なリスクだ。私の経験では、ロースキルの人員によくある事で、自己解決で結論や解が出せるタスクであっても、ー多くの場合そういった業務しか任せないのだがー、細かいレベルのでの確認作業を上長や周囲に求める場合に適用されると思っている。これは、良い行動と言える側面もあるが、ここでは能力的に不安を感じないレベルであってもそのような行動に出る事を指してリスクとしている。自己の承認欲求を満たすためだけの会話が多く生まれてしまい、周囲の時間を無為に奪い取ってしまい、結果として貢献度が下がるという構図になる。身に覚えがあるのは、単純なアセスメントではない問い合わせやコミュニケーションが多く見られる傾向には、この癖がある人物ではないかと感じている。優先度が合理的な判断基準ではなく、自己承認欲求を基準とされると周囲に違和感を与えてしまうので注意すべきところだ。
縦の関係性と横の関係性
意識的に取り組んでいることとして、「感謝」を伝えることである。働いてくれてありがとう、といった言葉はチームに貢献してくれたことに対する謝辞だ。そこには上下関係はない。同じ目的に向けて日々行動している仲間として、共同の目標地点に一つ近付いたことに対する貢献的行動を承認している。もともと上司と部下という関係が嫌いで、上司と呼ばれることも嫌いだが、メンバーを部下と思う事も嫌いである。「縦の関係性を持つな、横の関係性を持て」というアドラー心理学の思想には全く同意で、元より従属する体制で働ている意識は持った事がない。体育会系と称している社会人とは反りが合わないのはこの辺りの意見に相違があるからと考えている。
私の考えとしては、
部下はあくまで仲間である。決して下に見てはいけない。
上司はあくまで役割である。偉いわけでも優れているわけでもない。
誰がどの能力を持っているのか。事実、体制においてはそれだけの話である。責任を押し付けるだけの都合の良い上司を求めている人や、部下が出来て嬉しいと思っているような人は一度アドラー心理学に触れてみた方が良いだろう。
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