肌がうすく弱いようでして・ Minorityな個性は創造の源-思考の足跡-
ブランド・ステートメント (発酵中)
これから手がけるブランドの存在意義
「国内繊維産地の 雇用維持に貢献した 持続可能な物作りで、日本の美意識を 『Textile design』によって globalにエンパワーメント」
と、メイン・ブランドコンセプト
「ほしいのは らしさ ジブン style 」
まとう方の 今この瞬間 ( らしさ・在り方・個性 ) を 世代を超えて エンパワーメントする服
五感に響く本質の美、永く愛用できる喜び
着心地の概念を超えた構築的なここちよさ
素材から新しい美意識を具現化したものつくり
そして、key source
● Original Textile design 開発
● ALL JAPAN MADE
( 素材・パターン・縫製・生産 )
● 持続可能性・追跡可能性・生物多様性・循環型素材・ジェンダリング
● Sensitizing to history and co-creating the future
● Creative, Innovative, Imaginative & Unique Textile design ※仮
と、key word
(※ここからしばし脳内ワードが続きます)
Moment&Timeless
(瞬間と永遠)
AI&impermanence
(AIと諸行無常)
Diminished Reality
(隠消現実感)
Chiaroscuro
(明暗)
光と影
白と黒
死生観
伝統と革新
未来と過去
普遍性と現代性
幽閉の美
性差の差分 f(x + b) − f(x + a)
多様と同質
関心と無関心
受容と排他
人と自然
有と無
あわいとないまぜ
ハレとケ
語感
月光浴
無心の美 自然の美
春宵十話 岡潔 1963
コモンズ
Soundscape
(音の風景)
Auguries of Innocence William break 1789
1ere Suite Fantaisie Tabieaux,Op.5 2 Pianos
I.Barcarolle
Сергей Рахманинов
печаль
Environment
(※仮 ブラッシュアップ中です)
思い出と気づき ver.1
ブランド・ステートメントの世界観の解像度を上げるべく、いま一度これらを深掘りしようと、みずからの原体験に基づき、ジブンの個性まわりや、素材感へのこだわり周辺について、想いをめぐらせていた矢先に、
スッと降り立ちふわっと湧き上がった思い出と・気づき、そして最近、偶然に出会った音声メディアから得たエピソードと・学びの足跡を記しておこうと思う。
何年前のことだったか忘れてしまったが、じめじめした梅雨どきのとある日、帰宅中にお肌の異変に気づいた。朝は、なんともなかったのに。お顔にニキビ、カラダに湿疹らしき違和感を感じる。刺激はまったくない。
ストレスかなと思いながら翌日、当時住んでいた、目黒川付近からちょうど目と鼻の先ほどにあるかかりつけ病院で診てもらったところ、
それらはお化粧の上から汗をかいたために、またお肌と服の間に体温がこもってできてしまったであろう、ともに汗疹の症状とのことだった。
二十歳前あたりからか、素肌に直接触れる服や靴、圧のかかるバックの取っ手など、摩擦が痛く感じる事が増えていた。肌の過敏さが年々増してゆく感覚があった。
にしてもだ。いい大人がジブンの汗に負けるとは。(勝ち負けではないことは十分に分かっている) この状況が許せない。ストレス性蕁麻疹の方がましだ。内心ジブンの肌にいきどおりを感じていた。
はやく完治し、再発しない方法をおしえてほしい、とおそらく質問したのだと思う。しかし診察時にせんせいから言及されたひと言は、わたしの理解の域を裕に超えていた。なぜそんなに淡々と突拍子もないことを、さも平然とおっしゃるのだろうかと。
悟りの境地(か)
ところが今こにに来て、その語感の影には、あの時、口にこそされなかったけれど、「そろそろジブンの特異体質と向き合ってみてはどうかね」と云わぬばかりの、そのじつはやさしい至極の計らいが、ひっそりとその成り行きを見守っていたのではなかろうかと直感したのだ。
池上に越してきた当時前後からその後数年にわたり、事あるごとに電車を乗り継いでは駆け込んだ、街なかの皮膚科・専門医のおじいちゃんせんせいは、当時なんの前ぶれもなく、余りにもさらりと、またたくまに仰せになられたものだから、
耳を疑う余地さえもサーッと消え失せ、意思がそのばをしりぞいてしまった破壊的一撃の一言、
「あなた、皮膚の薄さが普通の人の半分だね。
湿度の全くないところで裸で暮せば
治るでしょう」
( 違う、そうだろうけどそうじゃない
いいや、ありえない )
今更ながら、ツッコミを入れたくなる衝動を内省しつつ。その無理ゲーな表層の奥底に隠れた彼の真意のつまりは、
“ 汝(なんじ)すべてを受け入れよ ”
で在ったのではなかろうか。さらに深掘り超訳するに、
“ その弱さを個性と尊び大事にせよ。”
ではなかったかと。
おそらく全人的治療に終始されて来られたせんせいならではのセンスに隠れた、独自の情緒、美意識、慈悲を、いまになって感受させて頂いたように思う。まるで秋空によく現れる雲間の光すじを脳裏に垣間みた気分。
(※ 別名「天使のはしご」with スカイツリー )
以来、季節によらず発汗対策、体感的/超絶暑・寒がり、夏の直射日光は痛い、あらゆる摩擦を疑いリスクヘッジせよ→素足に床は敵・ドアノブ禁物手の平青タン・瓶のふた開けたら血豆・虫刺されや擦り傷は半年及び1年は治らぬものと会得・家では裏返しに着て縫い目チクチクを防御・外さぬ品質タグは秒で赤み。
ありのままをとらえては受容しつつ、暮らしのくふう(危機管理対策)も上達した。そして亀の進みのごときジブンの自然治癒力には頭が下がる。
個性を活かす - 肌よわ1/2・花ひらく-
さらにこの卓越した?敏感さは、勤め人時代、服地商品企画、原料仕入れ・素材開発担当業務の場面で、大いに活かされてきたのだと気づく。
例えば < 予定が押している際のテキスタイル展示会などで、効率よく良品を見定める処世術 >、
ハンガーに吊るされた布をおもむろに、両手の指と指のあいまの水かきではさみ、安定させたところで、さてもエレガントに計8種をぐわっしとつかみ、新作などの特徴的な仕上がりを瞬時に感知することが得意技に。
各ブースにて時折「なんぢゃ、お前」ビームが刺さるとは意図もせず。
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番外だが、手で触れなくとも画像やビジュアルを見ただけで、概ね作られた産地、素材の組成混用率や番手、仕上げ加工、手持ち感、風合いに優れたものかどうか、素材の完成度が見て取れるようになった。
また、いちど触れた素材の記憶は手の内に保管されている。小学校の入学式に着たシャリ味の強いウールジョーゼットのワンピースを、いま、作ろうとすれば、近い番手、密度感、風合い、仕上げで再現できる。数十年経ってもおいそれと忘れることはなさそうだ。絶対触感とでもしておこう。
さいごに。肌よわ1/2の視座から、時代性とブランドの普遍性(*らしさ)の接点を、その世界観(*らしさを表現するためのテーマ)でろ過し洗練させた本質を、素材に落し込み、具現化し、市場に新しい価値を創出してきたテキスタイルクリエーションのいとなみに、どんな特異点があっただろうかという考察にはこれまで及ばなかったのだが、
指先から取集したあらゆる情報を基軸に展開する創造性、つまりカタチを醸成してゆく糸から生地までのさまざまな段階で、おそらく目には見えないところまでに及ぶ五感を活かした表現力は、好むと好まざるとにかかわらず敏感ゆえに、独自性に長けていただろう。
手前味噌だが、弱みを個性に変換し最大限に超躍させてきた唯一無二の経験値とはまさにこのことだろう。
========= ☕️ coffee break ☕️ ========
個性の定義
個性の定義:個性とは、そのひと独自のもの。
生まれてから死ぬまで変わらない。
元々あってじぶんではどうしようもないもの。
ものごころついて気づいたらそうで。
本人のせいじゃないんだから仕方がない。
だから周囲は、それとして認めるしかないもの。それが個性。
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エピソードからの学び ver.1 - 生命科学的思考とは -
さて最近、聡明なお方のポッドキャストとの出会いが好機となり。
ジブンの中の個性の定義が更新されたかな、と思いきや、手みやげに多様性についての考察までしっかり持たされて。学びを定着すべく断捨離を少し。
『生命科学的思考』を語る 高橋祥子氏(ジーンクエスト代表)より、1.生命科学的思考とは 4. 多様性の本質は同質性/の一部を抜粋。
生命科学的思考とは より
生命科学の基本原則は、①まず生物が個体として生き残って ②その次に種として繁栄するというために、すべての行動が定義されています。開拓性と呼ばれているんですけれども、新しいものを開拓してゆこうという性質・性格についての遺伝子というのも最近解ってきています。
遺伝子的に考えると新しいことに積極的な人と慎重になる人というのはいるんですね、
開拓性と呼ばれているんですけれども、新しいものを開拓してゆこうという性質・性格についての遺伝子というのも最近解ってきています。
つまりその遺伝子で、なぜ(開拓性に)多様性があるかというと、人類みんなが新しいものに飛びつくと危ないんですよね、たぶん人類全員が私みたいに新しもの好きだったら、人類は滅びると思うんですけど、
やはりそうではなくて、積極的な人と慎重になった方がいいんじゃないかという人がいることで、人類全体の種としての多様性が担保されているわけなんですね。それが遺伝子的な多様性という事なんですけれども、と言うことは、私と違う性質を持つ人に感謝しないといけないなあと思ったんですね。
その人たちがいる事で多様性が保たれて、種の全体の生存の可能性が上がっているわけなので、単純に否定してしまうと、自分も否定していることになると。
尊さ 個性 多様性
言いかえれば、私の性質(個性)に感謝をした上で、私を受け入れることができれば、他者を受け入れることもできる、また、私とあなたが、ともにそれぞれの違いを受け入れ、認め合えるということは、お互いの個性や才能を尊重し活かし合えるフェーズにいるともいえるでしょう。
また仮に、特定のジェンダーや何らかの属性に無理に迎合しようとすると、ジブンのみならず生命体としてのヒトの生存も危ないと。人の多様性が減ってゆくとすると、人の遺伝子の多様性も減ってゆくことになるからです。
ちなみに、人のゲノム =(細胞の核の中の DNA(遺伝子)+染色体)は、約30億のDNA塩基配列でできていて、そのうちの99.9%はみんな同じ。個人によって約0.1%だけ差異があるから、多様だということが認識できるのだそうです。
そして、ときに弱さやマイノリティと称される概念の皮をむくと、ありのままの尊い個体(個性)の姿があらわれます。一人ひとり希少な違いを持ち合わせて生まれ、それゆえに唯一無二で、かつ最初からそうなだけ。個性とはそういう趣のものと再三再四腑に落ちます。
ミジンコやコアラなど、ゲノム配列が大きく異なる生物を入れて考えると、ヒト間の差異など微々たるもので、ゆえに人は生物としての多様性は低いというお話しはかなり衝撃でした。
補足とおまけ
多様性の本質は同質性
多様性について考えるときには、「何が違うか」という差異に注目すると同時に「何が同じか」という点にも注目しないと、多様性の本質を見失うことになるとの示唆は、たいへん感慨深いものでした。
聴きなれない言葉の語感をかみしめながら、そもそもヒトは、生物としての多様性が低い、その上で、世界的ジェンダー・ギャップ指数の低い日本人(156か国中120位/2021)を、生命科学的観点からみると、環境の変化に対応できない、極めて生存の可能性が低い人々と言うことになるのでしょうか。
暦の上では処暑の候、巡る思考をいったん脇に置き、さてはひんやりとした気分に浸ってみるのでした。
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おしまいに
noteを再開して以来、他人からみれば、たわいもないかもしれない、しかし本人にしか分かりえない、ジブンのなかにある大なり小なりの『違和感』を、語感に任せてなんとか解放してみようと思うようになりました。
なぜなら、私ごと冒頭に上述の ブランドまわりの信念を醸成するにあたり、
●たとえば一般的な常識とも言われる社会的通念 (例:子供服 / 女の子はピンク・赤・白基調にレースや花柄やリボン付き、男の子はブルー・グレー・緑などに動物や車のモチーフが多い)や、
●認識バイアス(統計学的、社会的帰属、記憶、などによって固定された誤った観念)などによって、
感化されてしまった ジブンの、『思い込みのバクのような不自然さ』に気づいたことが一因で、またここに来て、その不自然さでおおわれた『違和感』に気づき、受容することで、本質(個性)を、救出し、自由にのびのび(表現)させてあげることが、新しいクリエーションに向かうために必須と感じたからです。
また、生命科学的思考という観念に出会えたおかげで、人間としての尊厳の本質は、自他を受容することにあると改めて腹落ちしました。
自分にしか表せない世界観を創造し、社会と繋がりながら生きてゆけるとうれしい。私という希少な存在(個性)をわたし自身が受け入れてあげること。私と違う性質を持つ他者に感謝できること。性質の異なるあなたが居てくれるおかげで、生命種としての多様性が保たれ、私は生きている。
お互いが、個性の違いを認め合い、尊重し合い、活かし合えることで、人類全体の種としての生命の生存の可能性も上がる。すべての学問の到達点は愛ではないかとさえおもえてくる、長月の始めです。
さいごに。時折触れたくなる詩文2選をご紹介して、この投稿を終わりにしたいとおもいます。
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1827年8月12日没 イギリス 詩人
ウィリアムブレイク 詩集
「無垢と経験の歌」より
「無垢のゆくえ」 から冒頭の一節
一粒の砂に 世界を見、
一輪の野の花に天を見る
君の掌のひらに無限を捉え
一時(ひととき)のうちに永遠と繋がる
Auguries of Innocence By William Blake
To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.
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1997年9月2日没 オーストリア 精神科医
ヴィクトール・フランクル
「夜と霧」 より
人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人一回だけ立っているという意識にまで達せねばならないのである。
何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。
何人も彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである。
まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということの中に独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。
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最後までお読みくださり有難うございました。
ではまた!
つづく
▼ 超絶かんたんな自己紹介が書いてございます。
P.S.1 ほしいのは、らしさ ジブンstyle
P.S.2 服は素材からデキている
P.S.3 急がば回れ
P.S.4 内省→文章を書くことが苦手
対策→まず読書量を増やす(汗)