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フェミニズムの「ただしさ」を担保するもの
すでにこの記事で述べている通り、私は「フェミニズムは左翼的なポリコレリベラル(以降これを「政治的ただしさ」と呼称します)に立脚している」という言説を支持していません。
フェミニズムの「ただしさ」は、「政治的ただしさ」が担保しているのか?
社会学におけるマイノリティというのは、元々は黒人差別というアメリカの壮絶な因習を是正するために、発明された考え方である。
自身の傷つきを社会の問題とするマイクロアグレッションという考え方も、黒人差別の背景を考えれば必要だったのだろう。
そして時代を経て、数的優位であっても少数派を名乗れる便利な発明に乗っかる形で、社会の半数以上を占める女性を「社会的少数者」と定義し、公然と自らの傷つきを社会や他人が原因であると非難することが正当化されるようになったのが現代であり、権力勾配の名の下それを批判することも差別として糾弾できる「正義」としての立場に社会学が居座るようになった。
この記事によれば、現代の「左翼的なポリコレリベラル」もしくは「政治的ただしさ」はもともと黒人差別への反発から生まれたもので、女性運動もそれに乗っかるようになり、現代第4波フェミニズムの「被害者カルチャー」につながっていったことが示唆されています。
しかし、現代フェミニズムの前身である、ウーマンリブを支持していたのは黒人運動ではなく、むしろそれに反対する白人達であったことを知る人は、現在どれだけいるのでしょうか。
米国でバス・ボイコット事件が起きた際、白人は自身を権力者ではなく「黒人の暴力により距離を取らざるを得ない」と被害者と認識してたんだよな。それ故に黒人活動家は「黒人隔離を叩くより黒人犯罪者を叩け」「我々を恐怖に陥れるのか」とバッシングされたというけど、これ完全に何処かで見てる光景だ
— rei@サブアカウント (@Shanice79540635) May 17, 2022
恐怖感を煽ってたのは特に白人女性という事実。フェミニストも含まれていたのが歴史的事実ですよね。正直、人類の歴史上の差別の大部分が女の恐怖感由来じゃないのかと思うほど。 https://t.co/KyDuW7OMdA
— mra for everyone (@mra_for) May 18, 2022
そしてこれは日本においても全く同じことが言えます。皆さんは、嫌韓ネトウヨ系のサイト・ブログ・掲示板において、「レイプは韓国の国技」という言説を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
この記事やこの記事でも言及していますが、「その共同体に属する女性」の安全に訴える手法は、ほぼあらゆる差別主義・排外主義の主張で用いられています。なぜでしょうか。その答えは、良くも悪くも、「女はその共同体の子産み要員であるから」です。
「不妊」という例外は別にしても、女には「次世代を産み育てる能力」が本質的に備わっており、それは現状でも社会的に代えがたい能力になっています。「代理母ビジネス」という策もありましたが、近年はフェミニストによる批判も強まっています。
ですから、フェミニズムの「ただしさ」は左翼的な「政治的ただしさ」ではなく、「共同体の子産み要員であること」そのものが担保していると私は考えます。その圧倒的な力には、「左翼」でさえ抗えないのです。
少子化が進んだのは、「フェミニズム」が浸透していないから
その上で、あえて私は、このように断言します。ただしここで言う「フェミニズム」とは、「女の地位向上・社会進出を進め、家父長制の伝統的家族観を解体させるべき」という思想のことを指しません。「男は女を立て、稼いだカネをすべて女に寄進し、女たちの問題を進んで解決していくべき」という思想のことを指します。
そもそも「女を尊敬し、その安全や自由を守ること」と「女の地位向上や自己決定権を制限すること」は矛盾しません。「慈悲的差別・慈悲深いミソジニー」は両者の建前を併存させた結果発生したものですからね。
なぜボーヴォワールは『第二の性』を著し、女性の地位向上や社会進出を求めたのでしょうか。その答えは、大幅に簡略化すれば「夫の言いなりになりたくなかった」からでしょう。
逆に言えば夫たちが妻を言いなりにしようとせず、ただただ収入の運び人として妻に尽くしていれば「地位向上・社会進出」などしなくてよかった、ということになります。実際彼女もサルトルを夫としたわけです(これには「哲学・社会学の権威とくっつくことで自らの主張を通しやすくする」という狙いがあったとも言われます)。
私はこのような主張がいずれフェミニストや「お目覚め勢」から出てくることを確信しています。その言説が主流となった時が、フェミニズムが「地位向上・社会進出」を諦めた時と言えるでしょう。
“女の権利制限”は、フェミニズムの名の下に為されるだろう
ですから、私は「“女の権利制限”はアンチフェミによって為されるとは限らない」すなわち「フェミニズムの名の下に為される可能性も大いにある」と考えます。
男女平等を採用してない共同体でどんどん子供が増えてるわけですから、長期的に考えたら男女平等は失われるに決まってるんですよね。「そんなことあり得るはずがない」みたいなこと言ってる人たちの方が根拠ゼロのお気持ちでしかない。 https://t.co/aHtLnnzvIK
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
全国民にマスクが強要される現在を3年前に予測できた人なんかほぼ皆無ですよね。人口動態がいよいよ壊滅的になって来る近未来に、抜本的な価値観の変革を試みる日本人は少なからず出て来ると思いますよ。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
そもそも「男女平等」という現在の形でさえ100年前の人間からすれば夢物語だったわけで。「人間社会の価値観は常にドラスティックに変化し続けてる」という当たり前の事実を無視する方が頑迷な立場だと思う。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
「机上の空論」との違いは、実際にそのミームを採用して上手くいってる共同体が実在することなんですよね。原始共産制に移行して成功した国家は過去に存在しないけど、男女平等を採用せずうまくやってる国は現に今も存在する。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
「最強の日本帝国軍が鬼畜米英に負けるはずない」みたいなこと言ってた80年前の人たちもこんな気持ちだったんやろな。人間は昨日と同じ今日がいつまでも続くと勘違いしてしまう生き物。 https://t.co/4ab8Ljn5pw
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
割とマジで女性参政権は21世紀中に消滅すると思ってる。なんというか「予測」とかではなく「そうなる以外の未来が想定できない」レベルでそうなるしかない。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
人口の再生産を不可能化するミームが生き残る可能性、逆にどうやれば想定できるんや。100年後も男女平等が生き残ってると考えてる人はどういう未来予想図を描いてるのか逆に気になる。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
日本という国やナショナリズムがオワコンになってる未来はあり得ると思う。ただ男女平等が存続してる未来はマジで想定できない。そのくらい厳しい。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
「異常なレベルの人口減少をこのまま何十年間も先進諸国が受け入れ続ける」と考える根拠がわからないんですよね。「今現にそうである」ことは未来を保障しないと自分は思うんですが。 https://t.co/R2jQM0hsjB
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
マジで煽りとかではなく「男女平等が100年後も存続する未来」の可能性が自分には全く想像できないので、男女平等が今後もずっと続くと考える人がどういう未来図を描いてるか知りたいと思ってる。どうやれば実現できるん…?
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
格差拡大とかではなく、人口の再生産が難しいが故に必然的に男女平等というミームは衰退していくと思うんですよね。男性の優位性が体格にあったというのも自分は懐疑的で、それなら白人黒人と比べて低身長のアジア人は根絶されてなきゃおかしい。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
女性参政権撤廃と人工子宮、SF的で実現可能性が低いのは後者だと思います。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
普通に実現するのでは。全有権者にマイナスに働く消費税増税だって受け入れられてるわけですから。何十年もの間に社会的な議論が尽くされて「女性参政権は亡国の道」と周知されれば普通選挙でも撤廃は実現すると思います。
— 小山(狂) (@akihiro_koyama) June 14, 2022
小山晃弘氏はこのように述べましたが、この理屈に則るなら、今で言う「アンチフェミニズム」がその制限を主導する、という保証も全く無いわけです。
読者の皆さんが、AV新法に対してどのような意見を持っているかにしても、新法を巡るフェミニスト達のいざこざは、まさにそのことを学ぶいい機会だったと思います。
だからこそ、「それ以外の方向から批判できること」が重要だ
「反フェミニズム」と「伝統保守・復古主義」がイコールで結べることは、「フェミニズム側の論客」にとって非常に都合がいい状況です。最悪「なぜその“性役割”は女の都合のいいように運用されないのか」と論立てできますからね。すもも氏が彼ら彼女らから「女をあてがえ論者」と見做されていたのもこのためです。
まず、性的平等主義は達成し得ない。よく民俗学の研究者が未開の民族を調査して「男女平等でした」とドヤ顔で報告するが、そんなものは当たり前だ。分業がほとんどないからだ。
それならと差別を伴う家父長制を敷いても、弥縫策にしかならない。なぜなら、ほかならぬ男らしさが、最終的にはフェミニズムに屈服するからだ。
匿名用アカウント氏は「復古主義こそが最終的にはフェミニズムに屈服する」と述べましたが、まさに私も同感です。
これからの時代、「伝統保守・復古主義」以外の方向からフェミニズムを批判できることは、非常に重要です。今般の参院選では、「表現の自由」というイシューに偏ってはいますが、そのような方向から批判できる候補が、各政党から出てきていることは、いい流れだと思います。
我々アンチフェミニストは、ここから一歩たりとも「伝統保守・復古主義」の方向に進んではいけないと私は考えます。我々は若いアンチフェミニストをそのような理論に迎合させないようにして、時間を稼ぐ必要があるでしょう。人工卵子・人工子宮の技術が確立され、女の妊娠を介さずに子供が作れるようになり、フェミニズムの「ただしさ」の真の原因を根本から崩せるようになる、その日までは。