「セックスワークの権利」と「皆婚規範の徹底」は両立し得ない
界隈の展開が速すぎてこれを話題にするのにはもう手遅れとは思いますが、今後の動きも見据え「一部勢力」に喝する意味を込めて、あえて。
いやはや、いわゆる「暇アノン」の実態についてはよく把握できていないのですが、この話が本当なら相当由々しき事態ですよ。
これは私の記事でも述べてきたはずのことですし、小学生でも直感的にわかることだと思いますが、今一度、あえて言わなければならないでしょう。
「性産業及びその従事者の権利が守られる社会」と「インセルが望むような皆婚社会」は、同時に実現できません。
純潔を守れなかったからこその「私達は買われた」
「私達は『売った』のではない、『買われた』のだ」──
まずはこの、Colaboの代名詞ともなっている、そして反フェミ側の猛反発を今でも招いているこのレトリックについて話していきましょう。実はこれ、単なる(“女の特性”としての)「他責思考」・「被害者意識」で片付けられるものではありません。
では、なぜそのような立ち位置にこだわるのか。明らかに「女は純潔と貞節を守るべき」という規範ないし美徳を、彼女ら自身が内面化しているからでしょう。またこれで「セックスワーカーとして主張する」ようなフェミニストに対して彼女らが差別的な態度をとることの説明もつきます。
Colaboほか(俗に「ナニカグループ」と呼ばれる)4団体自体は宗教色を薄めているものの、それらの母体となった「抱樸」という団体、更には神戸市で「買われた展」を開催し、その後覚醒剤沙汰で話題になった団体も、キリスト教の牧師が設立したものです。
「矯風会」や「西早稲田の一派」も同じです(そもそも例の住所にあるのは複数の教派が利用しているキリスト教会です)。キリスト教思想は一夫一婦制を絶対善としており、そのために純潔と貞節が奨励されているということは、この記事で取り上げましたね。
重要なのは、古典的革命思想なら「そんな教義などぶっ壊せ」となるところを(少なくともSWASHやsienteはそういう立場に近い)、彼女らは「その教義を前提とした中で、不本意にそれを守れなかった私達を包摂してほしい」と(実質的に)主張しているところです。彼女らがあそこまで男に性関係の全責任を押し付けようとするのは、その教義はまず「買い手たる男」に守る責務がある、という意味合いがあると考えられます。
しかし、日本はキリスト教国ではないゆえ、そんな責務を男全体が負っているとは言えません。とはいえ、「伝統的家族観・性観念」ひいては「インセル的皆婚待望論」において、その教義に限りなく近い主張がなされていることは、紛れもない事実です。
漢なら堂々とColaboほか4団体に連帯せよ
ですから、この「私達は買われた」という言説を真っ向から否定するためには、まず「未婚の女は純潔を、結婚した女も貞節を守るべき」という言説を否定する、すなわち「一夫一婦の異性婚規範」を捨て去る必要があります。
これがタイトルと冒頭で挙げた「同時に実現し得ない」ということです。いくら反フェミ側でも、どちらを取るべきと考えるかはそろそろ明白にすべきでしょう。私はそもそも皆婚社会の再構築に反対している立場であるからこそ、「AV業界・女優男優・その他性産業従事者の権利を守れ」という主張を擁護できるのです。
それでもあなたがたは「インセルが望むような皆婚規範の徹底された社会」を望むのですか?それならば「未婚女性が性産業に放り出され不当に純潔を奪われることを阻止する」ために奮闘なさっているColaboほか4団体の主張にはっきりと賛同しなければ、論理的に筋が通りませんよ。
そもそも売春防止法が制定された経緯自体、風紀紊乱の防止、すなわち夫婦(に準じる関係)以外の性的関係を害悪視する風潮の強まりと不可分の関係があります。性産業を潰すことには、「伝統的家族観の解体」・「非婚少子化」を抑制するインセンティブも働いているのです。その意味では「若年・困難女性支援」そのものが、最も有用な「異次元の少子化対策」の施策とも言えるわけです。
あと一応言っておくが
ここからは性産業とマスキュリズムの関係について述べていきたい。
実は、若年・困難女性支援の問題が表沙汰になるまでは、マスキュリズムの中にも、「性産業を潰して従事者を福祉に繋げるべき」という考え方がありました。
マスキュリズムは左右問わず相対的貧困の男性にフォーカスしていた経緯もあり、「女はどんなに貧困でもカラダで稼げるのに男は稼げない」という観点がありました。おそらく、藤田孝典氏なんかもそのような感情から性産業全廃論に舵を切っていったのでしょう。
しかしこれは明確な誤りです。
そもそも「AV出演強要被害」という話が出てくる前に、「AVに出演したこと」が世間を騒がせた例は、何があったでしょうか。真っ先に挙げられるのは、多田野数人氏がプロ野球ドラフト会議で指名されず、メジャーに行くハメになった一件でしょう。
それから2ちゃんねるVIP板にも、かつてこのようなスレッドがありました。
これらから派生したカルチャーがネットを席巻していることの善悪についてはここではあえて触れません。しかしこれらの件は、お金のために性産業に従事することは、なにも女性だけに可能なことではないことを示しています。ここで挙げたのはゲイポルノだけですが、女装・女体化・性転換して稼ぐ方法、最初から「女性向け」に作ってしまう方法もあります。広い意味では(カウンターとして廃止運動が起きている)ホストも含まれるでしょう。
その意味で「女はカラダで稼げるのに男は稼げない。だからこそ全廃させるべき」という議論は、「女性でないセックスワーカー」の存在を不可視化させたのです。そこはもう、マスキュリズム・男性人権運動として反省すべきところだと思います。
そして、このことを前提にするならば、余計に「性産業に従事しそうな女性だけを福祉に繋ぐ」という今の貧困支援の体制は、おかしいことになります。
この体制を正当化できるのは、それこそ「皆婚規範が要請する純潔思想」でしかないでしょう。
ここまでを踏まえて、私はマスキュリズムの名において、「困難女性支援法」の体制、及び4団体の政治的主張、並びにそれを擁護・加担している一切の言説に抗議します。
そして読者の皆さんも、どういう言説が間接的に加担しているかを、よく考えてほしいと思います。