友を失い。弟分もいなくなった。
原体験や自身の本を書く
そんなことが自分のまわりで行われている。
僕の原体験は
友人の死
弟分のようにかわいがっていた奴の死
そして二つに比べれば軽いものだが痛みによってスポーツをできなかった体験だろう
僕はもうじき30になる年
転職やフリーになることも考えている
そんな僕の原体験
それは多くのものの死だ
人の死を絡めた話はいい話でも美談でもないしあんまりにも重い話で僕自身が涙なしにはかけないから避けてきた。
でも少しだけ
ことばにして改めて前に進もうと思う。
病気で亡くした友は余りにも若かった
小学校にあがり僕は人気者の横にちょろちょろくっついて過ごしていた
まぁどこにでもいる少年だ
そんなところに何年か忘れたが
一人の奴と知り合った
見るからに「わるい」やつ
でも笑顔が印象的で話せばいいやつだった
彼とはよく一緒に下校し僕が少し人に迷惑をかけて生きているころに叱ってもらったりしたのを覚えてる。
学校などの関係で彼と少し疎遠になり
少しすると彼がなくなった連絡を受けた。
あまりに突然であまりに受け入れられなかった
人生でそんな感情は感じたことがなかった。
悔しいと無力な自分への怒りだ
圧倒的に配慮が(当時の言葉だと気配り)できなかったと。
もうひとつは弟分のような奴の死だ。
あいつの死は僕には重すぎた。
小学校の頃から家が近く
遊んでいた4人組がいた。
その中でも手足が長く背の高いN君の弟がJだ。
当時いつもくっついてくるJは僕たちからするとウザったく
少しいじめに近い対応をしていた。
それでもいつもついてくるJは悪いやつではないが僕たちはひどいことをしたと思う。
そんなJとは会えば話す。
そんな関係のまま少し時はたち
僕は大学に入った。
そこで働くことになったお店でJとは再会した。
お酒と音楽を愛し
少し不安定な彼は
危なくも魅力的でそこから僕らは機会があれば飲みに行ったり遊んでいた。
遊んだ回数は多くはないかもしれないがバイト先での話しや少年時代から知っている中でもあることから慕ってくれていたと思うし僕は弟分のように意識していた。
そんなまま過ごし僕は大学を卒業した。
後でも書くが大学時代を忙しく過ごした僕は4年の代から彼とあまり連絡を取らなくなった。
そのまま僕は就職し地元から出たことで地元に帰る口実を作る意味でも彼絵と連絡を取りまた遊ぶようになった。
お互いに年を重ね少し大人になったかなと落ち着いたの味方をして遊んでいたが
僕が当時の彼女と同棲を始めたのを機にまた少し距離が離れた。
そこにある日彼から飲みに行かない?
と連絡が来た。
僕は簡単に断った。
死ぬほど後悔している。
今も目から零れ落ちそうな涙を蓄えながら書くくらいにだ。
そこから少し時がたち
あいつは実家で
しんだ
自ら死を選んだ。
詳しくは知らないが母子家庭の母が見つけたのだと思う。
内は母親同士が高校の同級生であったのもあり家も近いのもあり先に母に連絡が入った。
母から僕に連絡が来た。
J君亡くなったって。
意味が分からなかった
死因を聞いてもわからないと。
そりゃそうだ。
家族にとって自殺したなんてなかなか表に出せる情報じゃない。
数時間して当時のバイト仲間数人から
Jがなくなった。自殺っぽい
そんな連絡が来た
Jの不安定さは知っていたし、どこか死と近い人生を送っていたのもなんとなくわかるが
みずからそこに踏み込むことはないとどこか自信があったのに。。。
自分の傲慢さを思い知った。
人は弱いし強い
それだけだった。
自分が安心するために強いときを思っていただけだ。
彼は死んだ。
自ら死んだ
腹も立ったなんで相談しねぇんだと。
でも彼は相談したかった
でも俺にアピールしていた
でも俺はそれを見逃した。
当時の幸せにかこつけて人の為に
命まで失うほど悩んだ彼のメッセージを見逃した。
20年以上付き合って
急にきた飲みに行かないかという誘いの違和感にすら気付くことができなかった。
わかくして今生の別れをした友人と勝手に結んだ約束をこうも簡単にやぶれる物かと俺は死ぬほど悔しくて悲しくて数日日々が流れるのをただ日常を過ごすしかできなった。
俺があの日あのメッセージに何時でもいくらかけてでも駆けつけていれば彼の心は救われたんじゃないかと。
数日前に彼の命日だった。
その日からこのノートは書いているけど感情が走りすぎて筆が進まなかった。
今では筆が進まないなんて古い表現だな。
今の人には伝わるのかななんて思うくらいにはなってきた。
書いてはけし書いてはけしを繰り返したおかげだと思う。
二人の死は僕には必要のない欲しくもない宝物になってしまった。
その日からか生まれてからか
自分のために頑張れないのをうすうす感じていた。
資格試験とかほんとにがんばれない。
大げさに言えば目の前に困っている人がいないと全力が出出せない
なんなら困ってる人がいれば120%出せる自分がいることにこのノートをつづりながら確信した。
そんなところから僕は
【誰しもの為に生きていく】
【目に見える範囲は全員救う】
そんな風に生きていくことを決めた。
死して尚人を思う。
そんな人として生きていく。
お金も仕事もいまいちピンとこない。
あんまり関心がない
それを人の為へとかえて行い生み出していこうと思う。
もう一つの原体験は今度書こうと思う。
僕がとある競技で日本代表のトレーナーになるまでのお話だ。
もし困ってたら頼ってほしい。
何もできないけど何かはできるから。
いまから僕は少し強くなったと思う。
ようやっとにこの文章を出せる。
書いて経験値を気持ちを増幅する。
大した変化はないけれど大きな一歩になるね。
コミュニティに興味があるのもこういうところに起因します。
誰かがそこで救われるなら。
もっともっと精進するので見守ってね
世界平和にはコミュニティが必要だよ
誰かの小さな救いと誰かな小さな幸せの積み重ねが必要なんだ