僕たちは、怒“れ”ない - 怒り教育のすすめ
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
そして、今年も、本と共に生きていきましょう。
さて、年明け一発目は「僕たち日本人は怒る方法についての教育を受けていないため、怒れない。」という話し。
読んだ本はこちら
「日本人のための怒りかた講座」という本。
僕たちは怒り方を知らない
略して「ぼくおこ」ですかね。映画のタイトルみたいに略しちゃいました。
著者であるパオロ・マッツァリーノさんは、イタリア出身の日本文化史研究を行っている方です。「ここダメだよ日本人(ギャグっぽい内容)」系の本をいくつも書かれております。
僕たちは学校で怒り方について学んだことがありません。
だから、怒るということが苦手だし、我慢が美徳だと捉えがちです。
怒ることはコミュニケーション
怒ることはコミュニケーションの一貫だし、ある種の交渉なのです。
こうあって欲しい、受け入れてくれないか、
そういうコミュニケーション手段なのです。
コミュニケーションの一貫だと思ったら、受け入れられなくても
「交渉決裂した」と諦められるものです。
我慢してしまったら「あのときいうべきだったか」という怨念を心に抱えて、何も変えない時を過ごすことになります。
著書には、松本人志さんの次のツイートが引用されています。
著者はこの怒り方はA判定。つまりベストな怒り方だと評価しています。
そばにいた後輩にも「ちゃんと注意するべき」と注意し、
店員にも「店員さんがうるさいお客さんには注意するんだよ」と注意。
そしてうるさい客にも「電話しないで」と注意。
怒るときの大事なポイント
著書の中で怒る際のポイントは3つあると述べています。
真面目な顔で・すぐに・具体的に、です。
真面目な顔で
必ず真面目な顔で怒りましょう。
ヘラヘラ注意すると向こうは注意されていると意識してくれません。
例えば、
住んでいるマンションのグラウンドで早朝から
サッカーボールを持ち込んで、サッカーの試合をしている子供たちがいるとします。
そこで「あのーやめてくれないかな」とニコニコしながら言っても子供は
「ああ、うるせぇ」としかならないので、ちゃんと真面目な顔で「やめないか」ということです。
すぐに
これもポイントです。
さっきのサッカーの子供達が、
一日目は注意せずに二日目で注意されたらどう思いますか?
「昨日は何も言ってこなかったじゃん」
そう、一度迷惑をかける行為を注意されずに行動してしまうと
その行動を行う「権利」が彼らに芽生えてしまうのです。
電車の中の痴漢、スーパーの万引き、もちろん犯罪ですが、見ている人が見てみないふりをしてしまうと常習化してしまうのは彼らの中に「権利」が芽生えてしまうのです。
具体的に
さらに、これも大切なポイント。子供達に「こっちのグラウンドはうるさいから、少し行ったところに河川敷があるのでそっちでやりなさい」という具体的な指示をすることです。
そうすると子供達も納得して次の行動に移れます。
なんか怒ってるけど、具体的に何なのか?ということを明示できないと向こうとしても対応しにくいです。
その意味で、「真面目な顔で、すぐに、具体的に」怒ることが大切です。
怒るのは正義のためではない
また、怒るのは正義のためでもない、と著者は述べています。
正しいことは法律が裁くわけですし、迷惑だな、注意するかと思った時にいうだけでいいのです。
自分の半径5メートルを快適にするために、不当なマナーを行っている人に3つのポイントで指摘するだけでいいのです。
怒りたい時に、不当な形で権利を侵害されたら怒る。それだけでいいんです。
もちろん、注意して見た後で、迷惑をやめてくれたら、
異常に謝罪させたり、土下座を求めるのはやめましょう。
ただのヤクザです。
自分を守るために怒ろう
物騒な事件も、「カッ」となってしまうのも、
怒りを貯めにためてその怒り貯金箱の豚が破裂する時に起きる現象です。
大地震も小さな地震で発散し続ければ起きないのと同じで、みんなが快適にノンストレスで暮らすためにも「怒る」スキルは身につけなければなりません。
著書では、日本文化史という文脈の中で、
・大正時代から変わらない日本人の電車の中での残念なマナーの話
・仏教という視点からの「怒るって仏教的にアウトでは?」という話
・ペット禁止で犬を飼うのはどうなの?という短なお話、
と様々な例と研究について書かれています。
こういった研究を行っている外国出身の研究家っていう設定がそもそも面白い気もしますが、勉強になるのでおすすめです。
お粗末様でした。
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