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失くす前に見つけた話
根が心配性の人間です。
実家でこたつを使っていた頃、自分が最後に家を出る時は、コンセントから抜いたプラグを写真に撮ってから外出していました。
一人暮らしを始めてから、最初に住んだ家の玄関ドアはカードキーでした。
もしも磁気的な何かで使えなくなったらどうしよう……と、お財布やスマホをカードキーに近づけないよう心がけていたものです。
今住んでいる家の玄関ドアは、普通に鍵をかけるタイプ。
さすがに実家のこたつのように写真を撮ったりはしませんが、施錠後にドアノブを何度か動かして、確実に閉まっていることを手のひらでも納得したうえで外出しています。
自分の心配性な性質は、そういうものだと思って末長く付き合っていこう……と諦めの境地でいます。ちゃんと納得している。
しかし厄介なのが、そこまで心配性で事前準備にも時間をかける質でありながら、たまにうっかりミスをしてしまうこと。
先日も新年度の忙殺っぷりの中でやらかしてしまって、新しく配属された人たちに平謝りしたものでした。ひとり大反省会の幕開けです。
でも。
「人に迷惑をかけない範囲でのうっかりミスなら、気付きを得られることもあるんだな」
と感じる機会が、最近ありました。
出社日はいつも、同じコンビニでコーヒーを買います。
だからその日もレジでお会計を終えてから、コーヒーマシンにコーヒーをセットしました。
で、コーヒーが出来上がるまでの待ち時間。
ふとバッグの底に目を向けると、スマホや読みかけの本に紛れて、自宅の鍵がありました。
「は??」と声には出さずとも。
二度見の勢いで驚愕しました。
前述のとおり、とことん心配性な人間です。
自宅の鍵と社員証は、バッグにダイレクトに入れるのではなく、必ずファスナーのついたポケットの中に入れるようにしています。
だから本来なら、そこにあるはずが無いのです。
眠かったのか慌てていたのか……。
鍵をかけた後、スマホと同じ感覚でバッグに放り込んで、そのまま気付かずにいたらしい。
自分のうっかり加減に震え上がりながら、ファスナーつきのポケットにしまい直しました。
しかし、です。
出来上がったコーヒーを持って会社まで歩きながら、ふと「失くす前に見つけた、ってことかも」という発想が浮かびました。
もし朝のうちに気付けず、仕事を終えて帰宅して、自宅玄関ドアの前でバッグのポケットのファスナーを開けた時に鍵が入ってないという状況を突きつけられたら。
たぶん相当パニックになったはず。
加えて、自分の心配性っぷりを自覚しているので「ここ以外に入れるわけがない」→「どこかに落とした!?」なんて早合点して、バッグの中を探すことを思いつけない可能性も十分に考えられます。
自分のうっかりっぷりはともかく。
結果的にはめちゃくちゃラッキーだったんじゃないか。
と思ったんですが、さすがにポジティブ思考が過ぎるでしょうか。
書きながら、唐突に「物事の良い面を見ようよ」という台詞を思い出しました。
こないだ読んだ村上春樹さんのエッセイ『遠い太鼓』より、旅先のオーストリアで車が故障して田舎町に立ち往生することになった時に、春樹さんが奥様に言った言葉です。
心配性な自分とは、生涯付き合っていく必要がありそうなので。
せめて心に春樹さんを。
「物事の良い面を見ようよ」
いざという時でもこの言葉を思い起こせるぐらいの余裕は、忘れたくないものです。
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