寄付の背景を考える
寄付について、考えます。
飛躍し過ぎかもしれません。
でも寄付という行為の背景を
考える事は大切だと思います。
寄付→お金 です。
このお金と交換して援助を
行うのが寄付です。
この寄付という概念に、抵抗があるのですね。
以下は #熊本地震 の時に呟いたテキストです。
「震災状況下では無償贈与社会が瞬間的に実現する。
そして物資循環のインフラシステム改善の萌芽が芽生える。
物資のニーズを伝達し届けるシステムを無償で提供するシステムが必要だ。
それが平常時で機能すれば、通貨が機能しなくても物資は循環し #エネルギー循環 する。」
これは何を言いたいのか?というと、「 #贈与 」の事です。
とにかく人は助けたい、という一心で寄付します。寄付する人は見返りを求めないで寄付します。それは「贈与」です。
この贈与行為は、
現代の日常の生活や社会システムには無い行為です。
現代人の私達は「 #交換 」を条件にお金や物資サービスを提供し、受け取ります。
でも自然災害が発生した時だけ、贈与が機能する。これは、何故でしょう?
人間は元々、贈与循環で生きているからです。
通貨交換社会は、ここ6千年ぐらいに発展しました。
「寄付」の存在する、大元の社会の在り方に視点を置いて欲しいのです。
日常生活で、社会が贈与を基準に運営されていれば、「寄付」は必要無いでしょう。
「贈与循環」
やってみれば実感出来ると思いますが、
贈与することは気持ちが良いものです。
また、もらう事も気持ちいいものです。
これは交換ではなく、贈与の循環です。
お金は機能しません。
野菜をあげた翌日にお魚をもらったり、
配ったりもらったりしてると思います。
結構、モノもサービスも「#贈与」で足りるのでは無いでしょうか。
「 #利益 」を取る必要は無いのじゃないか?
そんな気がします。
福島の時も、熊本でも、今回でも思います。
助けれる様な政治のシステムを作るには、
お金で保証せずとも、実行機能する救助システムが必要です。
無条件で助けて、救助する準備が万全に整っている社会。
利益を追求する国家や企業の在り方が、根本的に贈与循環社会の概念に変われば、寄付など必要無いのです。
こういう事を語る場合では無いかもしれません。
でも、あえて私はこういう時だからこそ、そう思います。
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