見出し画像

INTJ女が愛する作品。人間を理解する手段その①アニメ編

INTJ女が世界を理解する手段として活用してきたのはフィクションでした。世にあふれる創作はわたしに様々な知識と知恵、考えや価値観を教えてくれました。今日はそんなフィクションの中から、わたしの心に強く残るアニメを紹介します。


■はじめに


以前診断した際にはINFJの判定だったのですが、半年経って晴れてINTJになりました。
INFJのときに感じていた違和感を手放した結果、本来の性格=INTJの要素が強まったのだろうと推察しています。

その辺の考えの変化はまた別の機会に記事にしたいと思いますが、わたしがわたしを取り戻すために、右往左往していたとき、たまたま出会った記事を共有しておきます。

愛嬌や、みんながやらないはざまの仕事を拾うことで自分の評価を得てきました。
そうして10何年行きてきた結果、精神が壊れました。
そんなときこの記事を読んで、わたしはわたしを大切にしていいんだと思えました。

■世界の捉え方と鬱アニメ

INTJであるわたしは、どうやら世界の捉え方や人への理解が一般的な方向性と異なるようです。

イメージを言語化するなら、人間ではないなにか別の生き物が人間になるべく人間の行動を観察し、そのパターンを理解し、人間に擬態しようとしている。そんな感覚なのです。

◇人外が人間を理解するには

ある人に、湖晴ちゃんはコロボックルなのかな。
という言葉を頂いて、それ以来自分はコロボックルである、という認識のもと、人間に擬態して生きています。

そんなコロボックルなわたしは、昔から鬱アニメが好きだよね。と言われてきました。

◇興味の対象は“建前と本音“

鬱な展開が好きな訳ではないのですが、人間模様を描く時、きれいな面ばかり見せられてもしっくりこないのです。

結果的に、人間の弱さや愚かさを繊細に描く作品ばかり好きになってしまうのはもはや抗えないことでしょう。

物事には表と裏があり、見る方向が変わればそれは光にもなり、陰にもなるのです。

そんなわたしが愛する書籍や、アニメを本日はご紹介したいと思います。ようやく本題です。

■完璧じゃないからこそ、人間は美しい


心の調子を崩してから、新たに展開のわからないものを摂取するということがむずかしくなり、なかなか新しい作品を見ることができないのですが、漫画やアニメが大好きな学生時代でした。
もちろん読書も。

そういう創作物から、言葉と、人間というものを学びました。
フィクションはわたしに世界を教えてくれる先生でした。
今もずっと、大好きな作品を紹介します。

◇少女革命ウテナ

今でも私史上ずっとNo.1の座に輝いているアニメがコチラです。
セーラームーンシリーズをはじめ、輪るピングドラムやさらざんまいを手掛けた幾原邦彦さんが監督をされている、サブカル色満載のこの作品。

1997年の放送から、今尚コアなファンに愛されていて、原画展やミュージカル化もされています。

魔法少女もの?
ベルばら?
セーラームーンやレイアースみたいな少女中学生が世界を救う系?

分類がわからない。何と戦ってるかもわからない。


など、絵柄やOPのイメージから想像してしまいそうですが、世界を救うお話ではありません。

では本筋がなにか、と聞かれると非常に説明が難しく、いろいろな考察があるのでそちらもご参照いただきたいのですが、現状のわたしが説明するのであれば、自分の殻を破る話、と言うでしょうか。

主人公のウテナの決め台詞、「世界を革命する力を!」

作品の中で、この台詞がどういう意味なのか、明確な説明はなかったように思います。
受け止め方がひとによって大きく変わる、正解を提示されないストーリーは子ども心に難解ではありましたが、何故かとても惹きつけられるものがありました。

世界を革命する=自分を革命する

絶対運命黙示録

ということなのかな、と大人になってから何度か見返す中で考え至りました。

私自身、いま自分の世界を革命しようと藻掻いています。

劇中のキャラクターたちが、コンプレックスや自身の心の底に隠した願望と向き合い、挫折し、立ち上がり、ときには蓋をして、戦い、勝ったり負けたり、矜持を失ったりしながらそれでも日々は続いていく。

そんな彼ら、彼女らの姿を自分と重ねているのかもしれません。そして当時、世界に馴染めなかったわたしも、明確に認識していなくとも、共感するものがあったのかもしれません。

◇無限のリヴァイアス


当時中学生だった私が、欠かさず録画していたアニメ。無限のリヴァイアス。

そして主人公がロボットに乗らないという異色のアニメ。当時、最弱の主人公などと言われていました。

群像劇として、さまざまな登場人物の視点から物語が構成されていく作りで、物事を多角的に見たい自分にはとても興味深いアニメでした。

宇宙で活躍するための教習所のような機関で実習する学生たちが、突如正体不明の組織に襲撃され教官が全員殉職、宇宙に取り残された子どもたちがいかに生存するか、という初っ端からシビアなストーリー。

大人になってから振り返ると、社会の縮図としても捉えることもできますし、国が反映して衰退し、次の王朝に移り変わっていくという歴史物語を見ているような感覚にもなりました。

限られた資源、限られた能力、限られた空間の中で生存するために切り捨てられるもの、権力を手にする者、手に入れた権力を奪われる者、地位を得て豹変するもの。

目を背けたくなるような、人間の愚かさを目の当たりにすることになるのがわかっているので中々見返すことができていませんが、人は弱くて、愚かで、だからこそ愛おしいと思える作品です。

元気になった暁には、また1話から見返したいと思っています。

平凡で凡庸で日和見主義だった主人公が、最終決戦に向かうシーンは今でも印象に残っています。

成長したのももちろんありますが、平凡な彼だからこそできたことがあった。そんな最終回は、多くの人の心に灯りをともしたのではないでしょうか。

長い間この作品のことを話し合える人と出会ってこなかったのですが、2年ほど前についにお話できるひとと巡り合いまして。

自分の感性に正直に生きていたら、近しいひとと出会えることもあるんだなと感動した。

ちなみに、シリーズ構成は黒田洋介さんでした。
いっときヒロアカにハマっていた時に、wikiにこの方の名前を見つけてそりゃハマるはずだわ〜!
って納得した記憶があります。

◇BANANAFISH


こちらは他の作品とくらべると比較的新しい作品なので、ご存知の方も多いのでは無いでしょうか。
原作の発刊は随分前なのですが、2018年にアニメ化されています。

BL作品、などと揶揄されることもあるこちらの作品ですが、わたしが受け取ったのは「愛の物語」だと言うことです。

さまざまな愛のカタチがあり、その表し方や受け取り方はあまりにも多く、ときには倫理に背いた形で表現されることもあり、それによって傷ついたり、失ったりすることもある。

もちろん、一般的な考えと照らし合わせて、許されない行動を容認できる訳もありませんが、それでもそれぞれの行動理念に従って生きたひとたちの物語。

悲しい結末ではあるけれど、彼が幸福だったら良いと思う。

様々なカタチの愛が描かれる一方で、どれだけ苦しい過去があっても、自分のしたことの責任はとらなければならない。という吉田秋生さんの強い意思も現れているように思いました。

何が良くて、何が悪いのか。それはだれにもわからない。

だからこそ、悩みながら生きていく。

■おわりに


レイアースやセーラームーンももちろん大好きなのですけれども、それはまた別腹。90年代を生きた女児の歴史から外すことはできないもはやバイブルと言えるでしょう。語り始めると夜が明けてしまいます。

最近はフィクションよりも実用書を読むことが多いのですが、20代までの私を豊かにしてきたのはフィクションであると自信を持って言えます。

アニメや小説から知識を得ることで、していない経験や人間の考え方を知ることができ、そのことは仕事にも大いに役に立ちました。

そんな、わたしを形作ったフィクション作品。
次回は小説について、お話できたら良いなと思っています。


●実用書の紹介はコチラ


いいなと思ったら応援しよう!