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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)

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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことばが あなたさまの自分軸にも立ち返るきっか…
最後まで全文読み放題の買い切りマガジンです。 まとめてお読みいただけることで、より内なる軸と繋がり…
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#継続は力なり

お父様からお子さまへ記事をご紹介いただける感謝

先日、ある記事をお読みくださったお父様が 娘さんにそれをシェアしてくださったようで。 ほんとうにうれしく、あらためて心からありがとうございます。 娘さまから感謝のお言葉をいただき、なにより 「お父様が」「娘に」って、ほんとうに信頼がないとしないし できないことだと思うのです。 「紹介したい」と感じてくださったこと、 そんな伝わり方、記事の広がり方があるのだと… ことばが足りなくなるほどの感銘を受けました。 これ、本当にことばになりません… ずっと書き続けていてよか

過去記事にたくさんスキくださる感謝

ありがたいなと思うのが、最新の記事もですが 過去記事にもたくさんのスキをくださる時。 みなさまお忙しいはずなのに、過去記事も読んでみようと 足をお運びくださり。 なにかのタイミングで、バババッと過去記事にスキがつくときに 本当に書いていてよかったなと思えます。 そして、同じように たくさんマガジンフォローもしてくださったりと、 「見ていてくださる人は、見てくださっている」 なんともいえない、励みも感じさせていただいています。 *** SNSで、過去記事まで遡ってた

頑張っているように見えないという悩み ~陰徳性について~

「頑張っているようにみえない」 「さらっとこなせているように見える」 それは、強みでもあり ある意味弱みでもあると感じています。 ほんとうに一流の人や、プロの方は 努力していても、努力アピールなんてしません。 なぜなら当たり前なことだから。 「今日歯を磨きました!」なんてわざわざ言わないのと同じ感覚。 または、努力していてもそれそのものが好きで 努力さえ楽しめてしまえるから、 そこを、わざわざアピールもしません。 そして、陰徳性を当たり前に大切にしているので

書くスピードと自己肯定感は密接に繋がっている

先日の続きです。 書くスピードを上げるには?について書いたのですが そのために、切っても切り離せないのは 「自己肯定感」 であると、断言できます。 なぜか…? それは、迷いとなることばを打ち消してくれるから。 例えば「書いて、いいかな…?」 「なにか、意味があるのかな」 「わたしなんて…」 そうして、惑い、遅らせゆく言葉たちを 前へ前へと打ちのけてくれるから。 わたしは、過去大先輩に「キッチンタイマーを使うのがおすすめ」と教えていただいたのですが それは自

noteを書く時間の平均値 ~スピードアップをするには?~

noteを書く時間、みなさまはどの位かかっていらっしゃいますか? わたしは、とても遅くて 初期はふつうに2~3時間かかっていたように思います。 不器用ゆえ、何日も下書きから費やして… 1時間で書けたら、かなり上等な方でした。 でも、ここ最近ふと気づけたのです。 「あれ?そういえば速くなっている」と… なんでだろう、と振り返ったときに、気づけたことは もしかしたら当たり前なことかもしれませんが ・「毎日」続けたこと ・締め切りなんてなくても、自分なりに「何時まで」

7月からの新しい流れ ~より広い海と世界へ~

今日から7月、とても待ち遠しい夏で なんだかうきうき楽しみですよね。 カレンダーをめくるのが、こんなに嬉しかったことはないかもしれません。 みなさまは、どんな夏をお過ごしですか…? わたしは、今月からKindle出版に向け動き出します。 その決意が変わらぬよう、初日目につくところに書いておこうと、 また「道記録」しても綴ってまいりたいと思います。 これは、わたしにとっては大きな変化で 価値観が360度変わる体験… 個人的なことですが、noteというあたたかい

ヨガを続けると自己受容が進んでいく

最近ヨガをはじめて気づいたのは 自己受容が、いろんな角度からすすんでいくということ。 「こんなところに…!」と、まだ受け容れられていない感情などもハッケンできて 節々から流れていくように、やさしく受けとめてはそのまま流しつづけています。 たぶん、ですが いちいち考え過ぎないことって大切で ただ「あぁ、~~だ」と、そのまま、受け止める。 おそらく、日常の中では「こんなこと感じてはいけない!」とジャッジが入るのだと思うのです。 でも、ヨガを通じて、得られていること

環境のせいにしない ~引っ張られないで~

引っ張られがちな環境で、 多少なりとも引っ張ってこられたのは 結局 “結果”と“純粋な熱意”。 「誰かを変えよう」とすることなく、淡々と。 自分がただ星になればいいんだということを 学ばせてもらったnoteで、今のわたしに出来ること。 それはやっぱり、次々道をひらいていくことでしかなくて “わたし自身の”可能性の扉をただどんどんひらいていく事だけ。 それが結局、「ほんとうは(ほんらい人は皆)そう生きたい」の熱が触発され いつのまにか、引っ張られることもなくな

もしあと1年で人生が終わるとしたら?

先日、貴重な本を読ませていただきました。 タイトルは『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』 小澤 竹俊さんの著書なのですが とてもシンプル・かつ普遍的な中に いまの自分に必要なことばがたくさんありました。 『もし、本当にあと1年で人生が終わるなら…』 わたしは、目に見えない大切なものを “見えない”ままにするのではなく。 きちんと形に表し、残していくことをしていきたい。 ほんとうに大切なもの=愛・信頼・感謝など、いろいろありますが それが、今のわたしに、

外からはわからない孤独にどう馳せられるか、包めるかも愛

ひとは、笑っていても基本孤独です。 ひとは、みんなや大勢といても基本孤独です。 たくさん活躍しているように見える、あの人も… きっと、外には表さないだけで、一般のわたしたちと同じように、もしくは それ以上の孤独を抱えていたりするもの。 だから、「なんだかいいな」「羨ましいな」と感じられたときには そんなところも、きちんと馳せられる人であること。 後から「実は…」なことだって、案外あるもの。 わたしは、人の痛みに気づける人でありたい。 以前書いたこの記事も、そ

🔑花のような人であるために

先日、とても面白いおみくじを引きました。 「花のようになりなさい」 実は、わたしも目指しているところで素直にうれしかったです♪ 花は、なにも語らないけれど… 存在だけで、癒しだったりパワーになれたり… なんだか、そういうのっていいな♪と感じるので ふと引いたおみくじ、メッセージって大切にしたいなぁと思います。 でも、よく考えたらきっと女性はみんな「存在だけで花」… ここ、きっと忘れちゃいけない。

書くとき、周りにどう思われるかなんて気にしない2 ~自己表現がニガテなら~

以前、こんな記事を書きました。 そして、ずいぶん日が経っていますが 今もその気持ちは変わっていません。 なぜなら、もし数を気にしたとして、そのひとたちは もし何かのときには助けてくれたりする人ですか? きっと、その答えは「そうじゃない」。 だったら、そこを気にして「書くの、どうしようかな…」なんて 躊躇しているヒマはない。 だったら、その分 ほんとうに届けたいとするひと優先に書いて生きていくことは なんにもおかしな事じゃない。 むしろ、正常。 いのち、

初の7冠 〜トロフィー4つ&ボード3つに感謝〜

ありがたいことに、今週初めて noteさんからトロフィー4つ、お祝いボード3つと 計7つのうれしいお知らせをいただきました。 トロフィーだけで4つというのも初めてで…(最高は3つ) かつ、計7つというもの初めてで…(最高は5つ) これも、お読みくださりスキくださるみなさまのおかげで ほんとうにありがとうございます。 特に、下記の記事だけで3つのお知らせをいただけて… はままゆさん、禧螺さんあってのことなので ほんとうにお蔭様でありがとうございます。 ちなみに、はま

今も未来も大切に ~ありたい自分を明確に生きる~

「願っていること(夢)」というのは、きっと“今”の延長上にあって。 “今”を大切にできないひとのところに その「先」はきっとやってこない。 わたしは、願っていること(作家)よりも大事なことがたくさんあって それはいつだって「いま」「ひと」「わたし」を大切に生きるということ。 未来から逆算して生きることができないわたしは、(*予約投稿が苦手) いつも「いま」どれだけわたしを生きられているか? 「いま」どれだけおひとと通じ合えているか? という「いま」しかなくて。