【かいてはいけない】
おそらく、人類が、私が生きている間には解けない難問。
それは脳の仕組み。
脳科学はもちろん進歩しているけれど、その全てが、明確になるのは、きっと何年も先なのかもしれないと思います。
今日という日を、今を刻んで生きていく中で、たくさんの思い出や記憶が残るのですが、人は「忘れる」ということを「忘れてはいけない」と思います。
まどろっこしい言い方ですが欠くことを欠いてはいけないと思うのです。
自分のキャパを過信した私は、脳をきっとフル回転させて、させて、させて、させすぎて。
ある日突然、叫びをあげました。
それはそれは恐ろしい出来事だったので、書くことをためらうのです。
いわゆる「精神的病(せいしんてきやまい)」に侵された私は、10年前、その閉鎖病棟に3ヶ月入院していました。
今では改善されていると聞きますが、当時の某有名大学病院の精神科閉鎖病棟は、まるで地獄でした。
私は刑務所に行ったことはありませんが、ドラマで見る監獄のような施設。
色んな薬を飲まされては、酔っ払った状態になったり、ろれつが回らなくなったり、蕁麻疹が出たり、髪の毛が抜けたり…
こんなこと書いてはいけないですよね。
でも、当時の私は「助けて」とか「もうできない」という弱音を許せない完璧を求める傲慢な人間でした。
ですから、全てが限界になった時、最悪の結末になったのだと思います。
あれから10年、今の病と向き合って生きています。
東日本大震災の際に再発し、入院。
医師の診断名に疑問を抱き自ら病名を調べました。
そういうことするのって、勇気もいるし、きつかったりします。
でも、本を読むと自分と似た症状を見つけ、当時の担当医に、その病名を告げました。
それから服用している薬をずっと飲み続けています。
見なくてもいい世界を見た気分は払拭できません。
今でもニュースで罪を犯した人が「精神判定の結果」と、その刑が軽くなったり、バラエティー番組で「頭おかしいんじゃない」という言葉を聞いたりすると、ゾッとします。
「心の病」とか「精神を病む」とかそんか言葉も、きらいです。
だから、私は自分の病気を「脳内科」って考えるようにしています。
内科があって、外科があって、脳外科があるんだったら「脳内科」って思ってもいい。って調べてみたら、「脳神経内科」って言葉もあるんです。
「心を病む人が多い」
という話題はよく聞くのに、脳神経内科という言葉に馴染みを覚えないのは私だけでしょうか。
「心」だとか「精神」だとか美しいことを尊ぶものに、誰もが病んでいるのではありません。
私は医師では無いので、脳の詳しいことは知りません。
私の心は病んでいません。精神も患っていません。
勘違いでもいいから、そう思い込みたいです。
だから、何でもかんでも吸収して、良い人でいることも諦めることが大切なのだと知りました。
覚えて脳の中に蓄積させること、記憶させることにも限度があるのだと知りました。
それは、こうやって書いたり、忘れたり(=欠いたり)してどんどん降ろして、決して吐き出したり投げつけるのではなく、静かに静かに降ろしていけばいいのだと。
こんなことは書いてはいけない。そう思います。
これはきっと気付かないといけないこと。
そんな思いを、重いを…ここに欠きます。