戦争後のガザ訪問記録➀~「ここで支援を続けて欲しい」~
こんにちは。最近無性にラーメンが食べたくなっている、JVCパレスチナ事業現地インターン生の齊木です。こってりとしたラーメンが大好きですが、胃腸が弱いので、食後は大体おなかを壊してしまいます・・・。あと栄養バランスが偏っているので、太らないか心配になりますね・・・
先日、ガザのパートナー団体・AEIによる戦争後のお見舞い訪問が行われ、山村さんと木村さんが参加してきました。戦争によって現在ガザでは子どもの栄養不足が問題になっており、お見舞い訪問の場でもそのことが話題にあがりました。今回はこのガザでのお見舞い訪問と難民キャンプでの食料・衛生キット配布のことをお話したいと思います。
①AEIオフィスにて、AEI代表・アドナン氏と会う
アドナン氏はJVCのパートナー団体の代表を務める医師の方です。ガザで彼の名前を出すと、知らない人はいないのではないか、というくらい有名です。パートナー団体のクリニックの他、自分でもクリニックを持っていて、そちらでも勤務しています。彼はヨルダン川西岸地区の都市・ナブルスの病院で医療ケアを受けた経験から、ガザ地区で医者として働くようになりました。また彼は、家族と住んでいたアパートがイスラエル当局から軍事拠点として疑われ、空爆を受けて家を失うという辛い体験をしています。「なぜイスラエルは建物すべてをねらわないといけないのか。最近の戦争では通知なしに爆破をしている。自分の家が爆破された際は、逃げるのに時間がなかったので、少しの持ち物だけを持って逃げた。そして、黒い煙があがり、建物が倒れるところを見なければいけなかった。イスラエルは正確にターゲットに向かって撃てる技術を持っているのに、なぜ何もないところを空爆したのか」と当時のことを語っていました。
詳しくは現地だよりに書いているので、そちらを参照ください。
https://www.ngo-jvc.net/jp/projects/palestine-report/2018/11/20181115-gaza.html
また彼は日本に伝えたいメッセージとして、以下のことを述べました。
・コロナウイルスと戦争によって栄養失調の子どもが増えた
・社会経済的な状況が大きく変化した。経済が困窮し、今まで雇用されていた人も雇われなくなった。人々は非常に困窮している
・もう政治ゲームに振り回されるのは十分だ
・今回のケース(5月の戦争)は国際的な決定が必要
AEIに渡したお見舞い用のお菓子。人気のお菓子店だそうです。店員さんも「もっと撮りな!」と快く撮影を許可してくれました。
②ヌセイラート難民キャンプにて、補完食に関するレクチャーと食料&衛生キット配布を視察
AEIの事務所のあるガザ市から30分程度移動し、乳児の補完食(※1)に関するレクチャーと、食料&衛生キットの配布が行われる様子を視察しました。特に厳しい状況にある18世帯が衛生キットを受け取り、レクチャーでは食・食育・栄養に関するさまざまな知識が伝えられ、参加者に対し、とても有益な情報を提供することができているのが分かりました。
※1:補完食とは、子どもの成長に伴い、母乳だけでは足りなくなる栄養を補うための食事のことで、WHO(世界保健機構)が提唱したものです。日本ではまだあまり馴染みがなく、離乳食という言葉が一般的ですが、WHOでは生後6か月ころから補完食をはじめた後も、2歳まで授乳・ミルクを続けることを推奨しています。
(上:レクチャーの様子)
(下:食料&衛生キットの中身はこんな感じです)
ここヌセイラート難民キャンプでは、レクチャー後に何人かの裨益者にインタビューを実施しました。以下インタビューの内容です。
▶サルワさん(仮名)
・AEIの活動に参加するのははじめて
・娘2歳、息子1歳3か月
▶マルワさん(仮名)
・今回AEIの活動に参加するのは2回目
・娘2歳半、息子4歳
▶ガーダさん(仮名)
・AEIの活動に前から参加していた
・娘2歳、娘2か月(4人の娘,5人の男の子。20歳の子が一番上、15~16歳のときに結婚)
Q.セッションでいちばん学んだことで、最も役立ったこと
(3人から)栄養素について、母乳育児について
(3人から)母乳育児の大切さ
(3人から)太陽の光にあてて、ビタミンDを摂ること
(3人から)ご飯を温めて、すりつぶしてあげること
(サルワ)とても有益だった。これからも出たい
(サルワ)早朝の太陽の光を息子にあてる。これまではいつもそうだったが、夕方の日光ではだめ
(サルワ)貧血に対してどのように対応するか分かった
(サルワ)はちみつも国連から支給されるミルクも、1歳過ぎないとあげられないのは知らなかった
(サルワ)グルテン不対症の子どもの見分けかたを学んだ
Q.最近の生活状況について (マルワ)自分の家が貧しく、親が自分を大学へ送れなくて結婚した。息子はお金がなく、大学へ行けず、タウジーヒ(高校卒業試験・点数で大学進学が決まる)も受けられなかった。高2の息子もそうなるのではないかと心配。息子は夫と同じ持病を抱えており、治療が必要。夫は無職で、国連のクリニックで薬を無料でもらっている。精神的な問題も抱えている
(サルワ)戦争後、常に恐怖を感じている。子どもも外に行けなくなった。スーパーでさえ。戦争が終わっても
(サルワ)トイレへも行くことができない。長男は前はなんでもやっていたが今は働けない。小さな仕事にのみ従事している
(サルワ)苦労を重ねたせいか、自分はもう50歳になったかのように感じる。ストレスも多い
(マルワ)夫は太陽にあたれない病気。夫は薬代も払えない
(マルワ)かつて、夫は運転手をしていた。義理の母親が政府から補助を受けて夫を助けている
(マルワ)戦争の前後で生活は異なった
(マルワ)戦争で家の窓ガラスが割れた。ダメージを受けて心理的に弱くなった
(ガーダ)夫は運転手、32歳。親戚の車を使って仕事をしていたが、雇い主が車を自分で(ビジネス用に)使うようになり無職になってしまった
(ガーダ)戦争前後で生活は変わらず、ずっと貧しい
(ガーダ)空地を攻撃され、子どもは恐怖を感じていた。小さいけど何が起こっているかを理解していた。そして、戦闘機が来ると逃げ回っていた。
(ガーダ)いつでも仕事ができるのに仕事がない。なんでもよいのに・・・
(3人から)求人一つに対する倍率がすごい
(3人から)ガザの人たちは脆弱で、疎外されている。ここでJVCに支援続けて欲しい
(3人から)みんな脆弱な人たち。自分たちは仕事が欲しい。大通りに住む人たちにはまだチャンスがあるが、自分たちにはない
(3人から)地域に同じ名前が多いため、国連の支援パッケージをもらえなかったことがある(3ヶ月)
Q.どのようにAEIを知ったのか?
地域の保健促進ボランティア(CHAs)本人たちから、講習があることを聞いて知った(3人同じ回答)
そこから、子どもへ栄養、水、ビタミンを与えるように心がけるようになった。AEIの組織そのものに対して強い信頼がある。普段から、WhatsAppで質問もしている
(下:インタビューに答えてくれたうちの二人)
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現地駐在員の山村です。戦争後、久々にガザに行ってきました。瓦礫は撤去されているものも多かったですが、まだまだ戦争の爪痕が残っていました。今回訪問したヌセイラート難民キャンプの遠隔地では、「ここは遠隔地エリア(通りから離れている)だから、支援が来てくれて本当に嬉しい。支援をこれからも続けて欲しい」と何度も言われたのが印象的でした。今回のインタビューの通訳(アラビア語⇔英語)は同じくヌセイラート出身のベドウィン(遊牧民)の家系であるアマルさんに依頼したのですが、同じ地域出身の人からの聞かれていることもあり、いつもより色々なことを話してくれた気がします。ベドウィンのエリアの女性たちは目だけ出す黒い服を着ていることが多く(日本だと舞台の黒子さんの服が一番近いかも知れません)、特にリモートエリアではその傾向が顕著です。ベールを被ってしまうと顔は見せませんが、家族のために必死で栄養価の高い食料を確保しようとする若い女性たちの姿がベールの下にはありました。また、ネイルをしていた一人の女性は、爪のメンテができておらずボロボロになっており、家族のための時間ばかりで自分の時間が全く取れていない様子が見受けられました(もしかしたらサロンに行ってから大分経っているのかも?)。戦争前も後も大変な生活が続く彼女たち。夫が病気だったり仕事に就けなかったりで、大きな負担がのしかかっていることと思います。こういった遠隔地にいる人々も取りこぼすことのないよう、少しでも多くの人々を助けるために、これからもガザでの活動を継続していきます。そして引き続き、みなさんからのご支援もお待ちしております。責任を持ってガザの人々に届けます。
(構成:事業インターン 斉木正矢、編集:現地駐在員 山村順子)
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