みずほ@看護師☆呼吸シナジリスト
フォトギャラリーからお借りした写真が最高すぎ! テーマとしては 人としての器って?と思いながらの記事なのです。 人の器ってどうやって育つのだろう? と考えてみると 自身の生きてきた過程で身につけた価値観 無意識にも意識的にも他者をジャッジするものさしになり、それに執着して手放せなくなり 頑固になっていく。 これだけは許せないのよ!! という、これだけが増えていく。 口ではいいこと言って 根っこでは、人を誹謗中傷しちゃってて 口では不満言ってても 他者
本心なんてものは 誰にもわからない 誰にもというのは 自分にもってことね 自己との対話 他者との関わり 正そうとするよりも わかろうとして関わる方がいい それは、すべてをわかる、わけではない こころとか意識とか 何層も何層も 幾重にも霞がかかっているわけで 誰にもわからない だからこそ わからないを大前提に わかろうとするのだろう 言葉がなくてもいい 温かい視線が合うだけ 温もりがふとした手のひらから 伝わってくるだけ それだけで ひ
私の子供のころは 周囲に肉屋、魚屋、弁当屋、ちぃさな商店、工具店、レコード店などなど それぞれに商いを営んでいた。 個人事業主である。 いつの頃からか? 商店がなくなり、大型店にとって変わり 街並みも働き方も変化していった。 バブルの頃に高校生で、街並みの変化も肌で感じてきた。 その頃原家族での育ちでは 生きるか死ぬか?大袈裟ではなく 生存欲求に直結する様な出来事も多くあった記憶だが なぜか呼吸、息はつまらなかったと記憶してる 大人になって物分かりが良
ながーーいこと(笑) 他者からや社会規範みたいなものの 外部刺激に反応する生き方を 選んできて、上手くいってないのなら 考える、考えすぎることを一旦停めてみる。 という事は有効だと思います。 たかだか数十年生きてきた世界観のみだけで 世の中全体を知る事はできないわけで もちろん他者の価値観や生き方も 丸ごと理解できるわけもなく これまで生きてきて 納得する生き方が叶っていないのなら 内側から発動するインスピレーションに従おう と、自分に許可してみると
不確かな 子供のころの記憶 どこまでがほんとで どこまでがつくられたものか 見当もつかない 本当に落ち着きがなかったのか 勉強苦手でめんどくさがりだったのか 誰かに何か言われるのが嫌で 居場所がなくて どこ行っても 違う感じがして 心休まるところがなくて 安心を求めて行動しても 周りに理解されなくて でも、必死にもがいて 社会に合わせて(なければならなくて) 受験して 就職して 結婚して 子育てして 離婚して 全てがサバイバルで 落
長年 本当に長年 笑 人間を観察し ガチンコで現場で立ってると 思うことがある 話を聞いて良くなることもある 遊びを通して交流が生まれ 人が育つこともある 悩みを抱えて生きてくると 自分のせいにしたり 他者や社会のせいにしたり そんな事になりやすい しかし、本質はいっちゃん難儀なのかもしれんが 生活や暮らしを見直すことからが出発で それができんから、身体が動かんから 困っていたりする だからこそ、人的なサポートも 具体的なマンパワーも必要にな
考えて 頑張って 努力している時って 実は エネルギーは 空回りしている。 目の前の出来事に囚われて 修正しようと努力したり 肩に力を入れる その余計なチカラは なぜそこに存在するのか? 脳の過去の記憶に操られたり それが現実だと 感じているから あなたがつながるのは過去ではない 過去からの実績ではない 高い広い視野から 観てみると 路がある
誰かの何かの役に立つ。 そのことはとても尊くて、人間の中に潜在的にあるものなのだと何かの本に書かれていて、そう思う。 自信がなく、自己否定し何もできない時ほど誰かの役に立てたら自己の価値を見出せることも多くあると思う。 ただ、それは注意が必要で。
コロナの影響で伸び伸びになっていた成人式が無事行われました! 真夏の沖縄での袴や振袖を着て、暑さや日差しの厳しい中での成人式でしたが、 それでも、やはり祝い事、行事があることで、自覚というか認識というか、そんなものを感じました。 優しくも頼りになる、成長していく姿って嬉しいものです。 世の中にはいろんな事情を抱えながらも自分の生きる場所でみな精一杯のことを日々実践していますね。 私もその一人で順風満帆にこれまでやってこれたわけではないので、こうして成長してきてくれた
ご無沙汰しています。 暫くぶりにnoteに戻ってきました。 2022年は 本気出していこう‼️ 今までも本気だったけど 自分の本質と向き合いたいな そんなことをボンヤリとですが 考えていたのです。 訪問看護ステーションの管理者となり 外部マネージャーや講師のお仕事も チームのおかげで こんな私でもチームの一員として 頑張れてる。 チームのメンバーのために できることは何だろう? そんなことを毎日考えていました。 どうすれば 何が優先的なのか?
しばらくぶりの投稿です。 前回までの記事に自分の足の病気にまつわる出来事を書きました。 なぜ、そこを書こうかと思ったかというのを今日は書いてみようと思います。 私は今看護師をしています。 訪問看護師として現場に立たせてもらっています。 一度は現場から降りる経験をしました。 まっ休憩だったんだなぁと、今になって思えばそうですが、当時は自分の不甲斐なさに毎日泣いていました。 幼少期の出来事から私は患者さんのためにできることはなんだろう? 何かできなければ価値がない
基本、車椅子での移動手段が日常生活スタイルであったところから、杖歩行とはいえ、『歩いて移動する』という、スタイルへ変更となる。 それは、引力との戦いとなるのは、必須で、それも杖歩行をしないとなると、体重をどこでどう支えるか?身体は大忙し。 しかし、そこに専門的なフォローのないままに、自己都合撤回した杖歩行、歩行機会が増えていく身体。 身体の感覚よりも社会の広がりに対する『ワクワク』が勝っていた。 友人たちはそれでも、色々合わせてくれたけど、心配されるのも性に合わず。
前回からの続き 手術を終えてた私は、日々の処置で、自分自身の術創の手当は見ていた。 興味があったのだと思う。 対して怖いとかもおもわずに興味津々で看護師さんのする処置をみていた。 しかし、術野の写真となるとわけが違う。 ちょっとだけ、ドキドキしていた。怖さににた気持ちもあったけど、関心の方が強かった。 写真は3枚ほどあった。 そこにあったのは…私の『股関節』の写真。 開創器とドクターの手で『ぱっくり』と開いている。 そんな印象を当時、中学生の私は受けた。