人としての器
フォトギャラリーからお借りした写真が最高すぎ!
テーマとしては
人としての器って?と思いながらの記事なのです。
人の器ってどうやって育つのだろう?
と考えてみると
自身の生きてきた過程で身につけた価値観
無意識にも意識的にも他者をジャッジするものさしになり、それに執着して手放せなくなり
頑固になっていく。
これだけは許せないのよ!!
という、これだけが増えていく。
口ではいいこと言って
根っこでは、人を誹謗中傷しちゃってて
口では不満言ってても
他者を解ろうともがいていることもある。
表面では言葉だけでは見えないものです。
綺麗に見えていたものが
ただただわがままなだけであったり
表面的には無造作に見えていたものが
本来の輝きを見つけ出すためのプロセスであったりもするのですね。
捻じ曲げて見えなくなっていくもの
都合よく解釈して創造を捻じ曲げてしまうもの
深呼吸して中心に戻る時
あたりまえができていないとそれは
泥沼にお城を建てるようなものなのだということ
脱ぎ捨ててさらに土台を固めていく
その繰り返し、旅の途中
器を広げるだけでなく
創造していく。