いき つまるのなら
私の子供のころは
周囲に肉屋、魚屋、弁当屋、ちぃさな商店、工具店、レコード店などなど
それぞれに商いを営んでいた。
個人事業主である。
いつの頃からか?
商店がなくなり、大型店にとって変わり
街並みも働き方も変化していった。
バブルの頃に高校生で、街並みの変化も肌で感じてきた。
その頃原家族での育ちでは
生きるか死ぬか?大袈裟ではなく
生存欲求に直結する様な出来事も多くあった記憶だが
なぜか呼吸、息はつまらなかったと記憶してる
大人になって物分かりが良くなる?と
次第に責任というハードルや
個性は一人ひとり違うはずなのに
「ワタシ」の価値観を周囲からも押し付けられるし、拾いにも行く様になる。
誰のためのの生き方なのか?といえば
その人はその人の個性を遺憾なく発揮すれば良いだけで
そうじゃないのよね!と言われても
そうであるなら、それでいいのである。
まぁ、それすら誰かに説明する必要はないが
へー、そうなんだ!!
ワタシはそうは思わないけどね
と伝えてしまえばいいわけで
息 詰まることは1秒たりとも選択する必要は
本来ないのでね。
それが、意図する線と繋がってるのなら
大きな声と堂々とした姿勢で
あっ!それ違いますからと言った方がいい。
息詰まる生き方は
選択せずに人生謳歌しちゃおうね!
ほんとまずは呼吸からです。
自身の本音とクリアーに向き合うことを繰り返していく事で
ど真ん中の気持ちを確認できるから!
そしたら、誰かの何かの意図や
上からの評価がない世界へ誘われてもいいのよね。
ある意味マイペースでね。
息、緩やかに