なぜお正月はめでたいのか#31
どうも。ゆうちゃんです。
いつもお読みいただきありがとうございます。
昨日から仕事始めという方も多いのではないでしょうか。
私も初日の仕事を終えたところです。 #お疲れ様です
…と書いている最中に寝落ちしてしまいました。
さて、お正月も終わりました。
おそらく正確には小正月なるものがありますが…
今年の正月はめでたい気分になることができなかった方が多いのではないかと思います。
私も新潟の実家帰省中に地震に見舞われまして、大きな被害はなかったものの津波警報と地震の揺れによる恐怖心でいっぱいの元日でした。
前回の記事で夫婦の実家巡りを終えたと書きました。もはや家族を持つ日本の家では風物詩となっている実家巡り。盆暮れ正月と言いますが、ここ数十年のサラリーマン時代においては実家帰省が文化ですよね。
そして、ふと思いました。12月31日の23時59分から・・・1月1日0時00分!「あけましておめでとうございます」「本年もよろしくお願いいたします」決まり文句のようで疑う余地もなかったのですが、実家巡りが負担に感じてきた今回あたりから何がめでたいの?と。なのでちょっと調べました。今回はお正月がなぜめでたいのかについて書いていきます。知ってるよという方はスルーしてくださいませ。
○慣習が優先されるから考えなくなる
日本の文化になっていることってお正月に始まり節分、ひな祭りと挙げればキリがありませんので今回はお正月に限定していきます。そして、お正月といっても要素が盛りだくさん。私自身も幼少期から両親とともに正月を過ごしてきましたので、考えることもなく正月とはこういうことをするということが刷り込まれていました。ここでは2つ具体例を出していきます。
ーお正月の2つの慣習
あけましておめでとうございます
お年玉と鏡餅
まずは年頭の挨拶でもある「あけましておめでとうございます」。新しい年を迎えることの何がおめでとうなのでしょうか。
これに関しても様々な理由がありますが、まずは数え年についてを挙げます。現代では満年齢で歳を数えるのが大半ですが一昔前は数え年を用いるのが主流でした。12月31日から1月1日になるとすべての人が一つ年を重ねるのが数え年の考え方です。
*1902年(明治35)に年齢計算ニ関スル法律が作られて(正確には法律名ではなく民法に付属したもの)、公に満年齢が使用されるようになりました。
つまり,全員でハッピーバースデーということ。そりゃめでたいと思います。特に昭和の前半までの日本人の平均寿命は30歳代ですから、今の超高齢化社会なんて夢のような話で一年一年の重みも違ったのかもしれません。
もう一つは年神様(ご先祖様)をお迎えしてお祝いするためです。祖霊神(ソレイシン)というらしいです。一年の終わりに山にご先祖様をお迎えに行き、新年を祝うとともに今年の田畑の作物の豊作を祈ります(五穀豊穣)。日本ではあらゆるものに神様が宿るとされていましたから、田畑にも神様がいるとされていました。そして五穀豊穣を祈ることもあり、正月飾りには稲が使用されているのです。
私のように実家を離れて暮らしているとなかなかご先祖様が…という発想になりにくいです。正月飾りも無ければ門松もない。実家に帰省し一同が介して祝うというのはそういった核家族化という背景もあるのかもしれないと思います。
次にお年玉と鏡餅についてです。
鏡餅は小正月に鏡開きを行って食べますよね。何で鏡(かがみ)なの?と思いますが、実は鏡餅は年末に迎えに行ったご先祖様の居場所であり、文字通りご神体を映す鏡だという謂れがあるようです。そして神様の魂が宿った鏡餅を一家の家長が家族に分け与え、新たな年を健康で幸せに過ごせるようにと願いを込めていただいていました。これがお年玉の始まりで御年魂(おとしだま)というのが本来的。はじまりのころは現代のような貨幣経済ではなく,お米などの作物で納税(年貢)していましたから、お年玉と言ってお金をあげるのではないというのもあたりまえといえばあたりまえですね。
ちなみに、お年玉ってポチ袋に入った状態でもらいますよね。芸者や芸妓さんに心づけを渡す際に入れていた袋がその所以とか。関西の方の言葉でポチには小さいといった意味があります。これっぽちとか言いますよね。それが全国的に広がっているってすごいなぁと思いました。
ー慣習に則って幸福なのか
いざ気になって調べてみたから色々と分かりました。日本のお祝い文化にはだいたいご先祖様とともに…というのがあるし、無病息災とか豊作を願うのがつきものだなという感覚はありました。おせち料理も一年の様々な節句ごとに食べていたようですし、それらの所以を知らずして形式的なことばかりしてきたんだなぁと自分を振り返って思いました。
いろいろと神様にお願いするのは良いのですが、今の時代や自分たちの暮らしに合うものを主体的に行っていくのが自分たちにとっても良いです。慣習だからとか、みんなこういう風にやっているからということで嫌々やっても帰ってバチが当たりそう。自分たちにできる形でご先祖様に敬意を表し、ともに歩んでいくことが必要なんだろうと感じています。
○文化が世代間の軋轢を生む
とはいえ、今まで当たり前に続けてきたことをいきなりやめられるのでしょうか。その答えは自分次第としか言えないと思います。生きてきた時代や、積み重ねてきた人生が違うので本来は違って当然なのですが、慣習に背くものは地方部では特に強そうです。文化継承を形だけ残して行く先には、世代間の軋轢を生んでしまいます。神様もそんなことは望んでいないはず。生きている時代に合わせて必要なかたちに変えていくことが必要で、形式的なことを続けることが目的になってしまうのは危険です。なぜやるのか、どうしたいのかを家族で話し合っていきたいと思います。
○その中で心豊かに生きるには
日本においては慣習はものすごく重要なことの一つです。先ほども書いたように地方部ほど。現代を生きる私たちと、今までを生きてきた親や祖父母世代が互いに幸福感を感じながら生きていくにはどうしたらよいのでしょうか。
たしかに、慣習に背くとバチが当たるだのよくないだの言われてめんどくさいと感じることはあります。ですが、私たちも私たちでそれらの意味すら知ろうとしていないのではないでしょうか。まずは知ることって大事だと今回強く思いました。自分の家では正月をどのように過ごしてきたのかとか、何を大事にしていたのかなど話題にしてみるのも良しです。
その上で,やめられることはスパッとやめてみようと思います。年賀状とか。負担に感じることは減らして、家族と過ごす時間に充てた方が私の場合は穏やかに過ごすことができそうなので今年からちょっとずつ辞めることに取り組んでいます。
●まとめ
何をするにも同じことが言えますが、何をするのかよりも何故やるのか。何のためにやるのか、自分はどうしたいのかがポイントになってきます。慣習に倣うのはとっても楽なのですが、自分で考えて実行していくことはライフイベントだろうが仕事だろうが同じように大事なこと。
自分で選択をして責任もって取り組めば誰かを批判したりグチグチ言うことも無くなりそうです。やることを増やしていくのではなく,やめることを決めて自分にとって本当に必要なことに時間やお金を使っていこうと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた!ゆうちゃんでした。