「自分は研究に向いている?」という問いへの答えは見つけようとしなくて良いのかもしれない
今回は、アカデミックと絡めた話を。私自身、博士課程まで研究に取り組んできている。研究をしていく上で、私を苦しめていた問いは、「自分は研究に向いている?」という問いだった。答えをYesかNoで出すのであれば、Noである。正直、ここまでやってきて、研究に向いているなあと思ったことは、ほぼない。でも最近では、この問いを投げかけること自体が意味がないかもしれない、私には役立たないと思い始めた。
この問いを最初に投げかけたのは、修士課程の頃だったと思う。博士課程にて今後も研究を続けるか考えた時、この問いに向き合いざるを得なかった。その時の私は、研究において、何も確信を持てなかった。やりたい気持ちはあったけれど、とにかく、何1つ自信を持てるものがなかった。だから、この質問を問いかけるたびに、「向いていない」「これができれば、向いていると言えるのでは」などと考えていた。
この問いを問いかけながら、自分の気持ちを優先し、博士課程に進学した。最初の数年は、この問いと向き合う日々だった。その度に、「ここに論文載れば、OK」「ここで発表できればOK」「これに採択されればOK」と自分で基準を設けていたように思う。
明確に、これがターニングポイントというわけではないけれど、今では、この問いから解放されたと思う。なぜなら、自分が達成したいと思っていたことを達成しても、それほど大きな達成感がなく、自信にもならなかったからである。達成できたことは、嬉しいし、良かったとは思う。でも、思っていたほど、それで自分が求めていたような、確信が持てなかったのである。
つまり、分かったのは、こういうことだ。「自分は研究に向いている?」と問いかけ続け、自分が「これができれば向いている」と思えるだろうと感じていたことを、できるようになったけれど、それでも、「向いている」とは断言できないということ。
ただ、私は失望していない。そういうものなのだと思う。今では、研究に向いているかどうかなんて考えず、ただやるから、やると、やることに集中できるようになった。そもそも、「研究に向いているか」と考えること自体が、適切ではないし、考える必要もないことだった、そう考えても、私には、役立たなかったということ、ただそれだけだ。
研究をしていると辛いことが多いだろうし、私のように、沼にはまってしまうこともあるだろう。今、もし、過去の私のように、研究に辛さを感じている人がいたとしたら、なぜ辛いのか、まず考えて見てほしい。そして、自分が自分に問いかけている問いがあれば、それと向き合って見てほしい。おそらく答えはすぐには出ない。ただ、時間はかかっても、その問いから解放される時はくるだろうし、その問いの役割に気がつくことはできるのではないだろうか。