ナゴムレコードとは|サブカル音楽を構築した伝説の変態たち
1980年代の日本音楽シーンには「インディーズ」という流行りがあった。このスタートなるのは、1970年代の終わりから始まったパンクブームだ。そのインディーバンドの歴史において1980年代後半からムーブメントを起こしたのが音楽レーベルの「ナゴムレコード」である。主催者はケラリーノ・サンドロヴィッチ。たまや人生、筋肉少女帯などを世に輩出したアングラ集団だ。
ナゴムはやばい。前衛、悪趣味、エログロなんでもありのパフォーマンスが特徴。安易に「ナゴム好きなんだよね」なんて言うと「そ、そうなんだ(こいつさてはメンヘラサブカリストか……っ!!)」と異常性癖者のような扱いを受けるリスクがある。必ず公言する際には相手を見極めてください。そして自分と同じ香りがするときにだけ喋るようにしよう。
今回は1980年代後半~1990年代前半までのインディー音楽ブームを席巻した超ド級のアングラ音楽レーベル・ナゴムレコードについて、前後のインディー音楽の歴史、代表的なバンドなどを一緒にみていこう。
1970年代の終わりからはじまる「インディー音楽シーン」とは
令和の今でも、メジャーレーベルのカウンターカルチャーとして「インディーレーベル」はある。
メジャーはお金を使って、プロの作曲家・作詞家を雇い、大量の音源をプレスしてプロモーションをかけて「売れる音楽」を作る。その反抗として少額の予算で「自分のやりたい音楽を自由に作る」のがインディーズだ。
日本のインディーズ文化は1970年代に生まれる。その伝説的なライブイベント(ライブ音源含む)が「東京ロッカーズ」である。
ミュージシャン。プロデューサーのS-KENが六本木のスタジオでパンクバンドを集めてライブをした。この時には紅蜥蜴(LIZARD)、フリクション、
ミスター・カイト、MIRRORSなどのバンドが自主制作のレコードをつくる。まさにキレたナイフの集団だ。うかつに聴くと内耳が切れる。
この動きはアングラで一定の評価を得る。これによって「インディーズ」という文化ができるわけだ。メジャーに比べたインディーズの特徴を押さえると以下のようになる。
インディーズの3つの特徴
・世間的な評価ではなく自分のやりたいこと重視
・予算は少なめ
・共感している人間だけが集まるので閉鎖的
ナゴムレコードの黎明期
このインディーズの流れによって、日本ではアングラバンドが各地域で生まれるようになる。その流れにそって1982年、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下、ケラ)をボーカルに据えたパンクバンド「有頂天」が結成。翌年の1983年に東京タワーズと2組だけが所属する「ナゴムレコード」が結成される。
ナゴムの由来には「前衛バンドばっかだから名前くらいは『和む』にしようぜ」という説、「ケラの実家が「名古屋ゴム工業」を営んでいたから説」などが存在する。
ケラがいろんなアングラバンドをスカウトしたり、自身が新しいプロジェクトを発足させたりしながら、ナゴムレコードは大所帯になっていった。
ナゴムレコードの主な所属バンド
・有頂天
・東京タワーズ
・空手バカボン
・筋肉少女帯
・死ね死ね団
・人生
・たま
・ばちかぶり
・マサ子さん
・新東京正義乃士
・真空メロウ
ナゴムレコードの絶頂期まで
こうして大所帯になっていくなか、ケラは高円寺の自宅でレコードの袋詰めから配送までを自分でしていた。地方のバンドマンが自分でレコをして音源を作ってライブハウスで手売りするように、インディーならではの手作業をしていたわけである。
またナゴムレコードの代名詞の1つがサブカル雑誌「宝島」への広告出稿だ。ケラの手書きで宝島にめちゃめちゃ雑な広告を打っていた。今の雑誌でこんなの出したら、めちゃめちゃ面白いだろう。
こうして(一応)マーケティングもしながら、ナゴムレコードは1985年以降に絶頂期を迎えることになる。
有頂天は1985年にチューリップの「心の旅」をパンク調にカバーしたことで話題を集めた。アレンジが斬新すぎて完全にチューリップは散っているのだが、この新しさが若者の心をつかんだわけだ。まさかのオリコン上位にまで食い込むようになる。
そして有頂天は「LAUGHIN'NOSE」「THE WILLARD」とともに「インディーズ御三家」といわれるまでになるのだ。この有頂天のヒットに続いて所属アーティストも人気が出るようになる。
人生やばちかぶりは奇抜すぎるパフォーマンスが話題になり、リリースする作品が毎回インディーズチャートTOP10にランクイン。筋肉少女帯は1987年に『高木ブー伝説』をリリース。この作品により地上波のバラエティ番組などに呼ばれるようになる。
こうした騒ぎのなか、ナゴムレコードはもはや社会現象と化し、世の中には「ナゴムギャル」「ナゴムキッズ」という、一見して「あっ、コレ危ない人だ」と分かる奇抜なファッションを好むファンが中央線沿線に溢れた。
今でいうと「ピンクや緑の髪色で、マイメロ柄のリュックを背負うピアスばっちばちの女の子」みたいな……。視覚的には明るいが、ものすごく闇を感じる女性ファッションの元祖となったわけだ。そして未だに中野・高円寺辺りには野生のナゴムギャルが生息している。
こうしてインディー界隈で知名度を上げていくナゴムレコードだが、そんななかでもケラの借金は完済されなかったそうだ。その借金を返しきったきっかけが「たま」である。たまは当時人気だった「イカすバンド天国」に出演して人気を獲得。「さよなら人類」がCMソングとなり60万枚のメガセールスを記録し、紅白歌合戦にも出演した。ふざけたバンドしかいない超絶アングラ集団だったナゴムレコードが本格的にメジャーに羽ばたいた瞬間だったのだ。
このままの勢いでナゴムレコードは成長していくかに思われたが、インディーズの悲しき宿命か……たまも筋肉少女帯も、売れたバンドはメジャーレーベルに吸収されていくわけだ。また人生は解散後、電気グルーヴとして再出発をしたが、その際にはメジャーからリリースをした。
そんななか、ついにナゴムレコードは1991年に倒産をしてしまうことになったわけだ。
ちなみに倒産をしたあとにも、ケラはなぜか「宝島」に広告を出している。潰れた会社が広告を出すなんて前代未聞だっただろう。
「なんの意味があるのか」という人もいるかもしれない。しかし「意味」なんてものがナゴムレコードにあったら、これらのふざけたバンドは存在しているはずがない。「無駄を愛する姿勢」と「奇行癖」こそがナゴムレコードの象徴であり、倒産してもこの動きは続いたわけである。ちなみにナゴムはその後、2013年に再始動した。
ナゴムレコードの代表的な5バンドを紹介
ではナゴムレコードの黄金期を支えた代表的なバンドを紹介しよう。いまでも音楽シーンの第一線で活躍するスターばかりだ。
たま
「さよなら人類」という代表作でナゴムを救った、セールス的にはいちばんの立役者である。「今日~人類がはじめて~」しか聞いたことない方も多いと思う。しかし、そのほかの曲もすさまじくハイレベルだ。メンバー全員が作詞作曲をし「自分でつくった曲は自分で歌う」という姿勢なため、あらゆるカラーが1つのバンドに集約されているのも面白い。個人的には知久さんの作った「あたまのふくれた子供たち」が好きです。
ちなみにギターの知久さんとドラムの石川さんは現在「パスカルズ」として活動している。ドラマ「凪のお暇」ではメインテーマを作っていましたね。
筋肉少女帯
大槻ケンジ率いる筋肉少女帯もナゴムで人気になったバンドの1つだ。もともとメンバーの大槻ケンジと内田雄一郎はケラと一緒に空手バカボンというグループを組んでいた。内田が雑にテクノ音を奏でて、大槻とケラがむちゃくちゃ変な歌詞を即興で載せるのが特徴で、ものすごくアホっぽくYMOの「RYDEEN」に歌詞をつけたりしている。
そこからメンバーが集まって結成されたのが筋肉少女帯だ。哲学的で宗教めいており、ぶっとんだ思想の歌詞。見た目はビジュアル系に近いものの、4人とも一貫性がなくはちゃめちゃ。まったくもって訳が分からないバンドだったが、先述したようにバラエティ番組などで活躍しつつ、知名度を伸ばした。
人生
卓球、畳三郎、若王子耳夫、おばば(EX分度器)、グリソン・キム、越一人、王選手からなるグループ。卓球はのちの石野卓球であり、畳はのちのピエール瀧である。バンド、というかパフォーマンス集団であり、先に曲を聴いたほうが早い。卓球はこのころがっつり白塗りだった。畳はよくドラえもんのコスプレをしていた。
人生の当時のパフォーマンスは奇抜の極みだった。wikipediaから拝借すると以下の通りになる。
・ロックンローラーに対抗して歩行者天国でマイムマイムを踊る
・地球儀をつけて夜中に町を徘徊する
・自転車やハードルをステージに持ち込む
・マヨネーズやボンカレーを顔に塗りたくる
人生は1989年に解散。しかし4カ月後には電気グルーヴとして石野卓球、ピエール瀧に砂原良徳を加えて再始動した。電気グルーヴは石野が歌い、砂原がキーボードを弾き、ピエール瀧がパフォーマンスをするが、このパフォーマンスは人生時代の歴史を引き継いでいるのは間違いない。
マサ子さん
マサ子さんはもともとナゴムギャルだったメンバーで結成された。人生のファンクラブのリーダーを務めていたマユタンとサブリナの脱力系のツインボーカル、それに大正琴などが特徴的なバンドである。
個人的には少し前にデビューした戸川純の系譜を引き継いでるとも思う。その不思議ちゃん的な世界観のなかで、時折むっちゃ核心を突くようなことを歌う。ものすごく中毒性が高いバンドだ。
ばちかぶり
名バイプレイヤーの1人、田口トモロヲ率いる「ばちかぶり」もナゴムの時代を作った立役者である。今の田口からは想像できないが当時のパフォ―マンスは圧倒的で、ステージ上で米を炊き、炊飯器にアレをしたり(自粛)、ステージ上で急に嘔吐(許容範囲)したりしていた。もうここまでいくと「パンクとは何なのか」と謎の哲学を覚える。
石野卓球が上京時に「人生みたいなバンドは東京にごろごろいるんだろう……と思ったらばちかぶりくらいしかいなかった」と言っているほどの奇行で有名だったバンドだ。
「平成サブカル史」を作るナゴムレコードのメンバー
ナゴムレコードという、やたらとキャラの強いメンバーは、決してメインストリームに対するカウンターカルチャーという文脈だけではなかった。カウンターカルチャーであれば全体がパンクになったはずだ。
しかし実際にたまや筋肉少女帯などはメジャーに対する反抗というよりも「アブない趣味を仲間内で楽しむ」というサブカルチャーの意味合いの方が強いように思う。
こうしたサブカルチャーは現代まで引き継がれている。いうまでもない。ケラは劇団「ナイロン100℃」を立ち上げ、大衆にこびない演劇を続けている。また大槻ケンジは音楽だけでなく、サブカルチックな小説家としても活躍。田口トモロヲもまた役者として、知る人ぞ知る作品によく出ている。
石野卓球やピエール瀧は、メインカルチャーの人というイメージだ。しかし卓球は大友克洋のアニメ「MEMORIES」で主題歌を担当したし、篠原ともえをプロデュースし、平成のナゴムギャルこと「シノラー」を作った。
ナゴムレコードは完全に危ないやつの集まりだ。「ママー、あの人おもしろーい」「しっ、見ちゃダメ」の代名詞である。しかしそこには「他人の顔色を気にせずにやりたいことをやる」というエネルギーがある。これは顧客の顔ばかり気にするメジャーにはできないことだった。
だからこそ、ナゴムレコードはおもしろい。唯一無二だ。そして非常に音楽のレベルが高い。ヴィレヴァン、まんだらけ御用達の皆さんは必聴ですので、必ず周りに誰もいないことを確認してから聴いてみてください。
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