【エッセイの基準】極上のエッセイは、体重が感じられるもの?
昨日、村上春樹の読書会で
ご参加くださった、
「大海を知ったオタマジャクシ」さんが
『偶然の旅人』の中の
とても重要でとてもきれいな文章を
引用してくれました。
「かたちあるものと、かたちないものを
どちらか選ばなくてはならないときは、
かたちないものを選べ」
これは作品中、ある重大な局面を
迎えた人物が大切にしてるモットーです。
哲学的ですらあります。
それと似ていることで
私がnoteを書く上で、僭越ながら
大事にしてることがあります。
内容が「お役立ち記事」か、
印象に残る「非・お役立ち記事」か、
書く前に考えてみて
お役立ち記事ぽいようなら、
そのアイデアはボツにしよう!
記事にするのは止めよう!
逆に「お役立ち記事」ぽくないなら
それは記事にしよう!
そんな基準をひそかに用いてます。
最近は、エッセイと、
お役立ち情報が混同されてきたように
感じています。
でも私が親しんできたエッセイって
もっと書き手が体験したり感じた、
役にも立たないような
思い出や風景、会話などを
「心の体重」をしっかり
乗せて書いたようなものが
多かったと思うんです。
書いた人の「体重」を感じさせる
ものって、プロの小説やエッセイや
映画、音楽でも実は少ないでしょう。
それがスラスラできるなら
きっととっくに何万ものファンがいる
職業作家になってるはず(笑)!
だから、私レベルが
お役立ち記事ではなく
心理的体重を感じられるものを書きたい、
なんて、おこがましい話なのです。
もちろんnoteでお役立ち情報の記事も
あっていいし、読みたいですよ。
でも「お役立ち」にはならない、
心理的体重をふと感じさせるような
上質のエッセイ書きになりたい!
そんな私の願望が基準になっているに
すぎないんです。
それに、お役立ち情報は
機敏な方がもう常にいっぱい
世に提案してくれていますから。
今さら、どんぐさい私が後から、
何か書いたところで屋上屋を架すだけ。
そうではない方向に
進むべき道を探すしかなくて…。
書き手の心理的体重を感じる記事なんて
めったには書けないでしょうけど、
常に目指しています(笑)!
ちなみに「体重が感じれる作家」
という言い方は、
ある漫画家さんがいくえみ綾という
女性漫画家の作品を称賛する時に
使った言葉でした。
たしかに、いくえみ綾さんの描く人物は
なんだか体重を感じるのです。
もちろん、ニュアンスとして。
実際に何キロという訳ではなく。
そのいくえみ漫画称賛の記事を読んだ時、
なるほど、体重を感じさせる作品とは、
なんて絶妙な誉め言葉だろうと
感じ入ったので、使わせて頂きました。
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