【善と悪】自分で善人と思ってる人ほど何をしでかすか判らない!?
「自分は善人だから…と
思っている人くらい、
何をしでかすか判りません」
渡辺一夫(フランス文学研究家)
なるほど〜と思う。
たとえば、
私は男ですが、
書店に行き、
フェミニズムの棚の本を
見ているのが好きだ。
スカッとする。
男性優位な世の中を
ひっくり返すような勢いや
男たちの悪行、無能さに
痛烈な矢が放たれている。
フェミニズムは、
スカッとするだけでは
済まない領域ですが、
なぜか書店の書棚を見ていると、
正しく怒っている女性たちの
まっすぐな怒りと勢いが
私の胸を熱くしてくれる。
そうして、わたしも
フェミニストなのかな?と
誤解までしてしまう。
しかし、
私は1969年生まれの男だ、
思い切り、昭和時代らしい
価値観を生きてきた世代だ。
そんな私が、自分を
フェミニストだと思い、
女性たちを応援するスタンスで
いようとする、
そこには「善人」になろうとする
厚かましい偽善が働いていないか?
自分でもつくづく怪しいと思う。
自分を善人と思う人ほど、
怪しくタチの悪い人間はいない、
という説には、
だから、深い説得力を感じる。
他にも、
多様性、ダイバーシティを
みずからのポリシーだと言う
政治家やコンサルや弁護士、
作家、エッセイストがいたら、
私はすごく身を引いて、
そう語る相手の全体像を
しっかり見極めないと、
多様性をその人が
徹頭徹尾、理解し血肉にしてるか、
吟味したくなる。
私は人間のクズです、
私は愚かですと言われたら、
はいそうですか、で済むのに、
私は多様性を何より大切にしてます、
と言われたら、
とたんに、怪しまねばならないと
思うのは、なぜだろう?
自分を善人と信じて、
他人を傷つける人は幾らでもいる。
1970年代の連合赤軍なんて、
それから、オウム真理教の信者も
その最たる人たちにちがいない。
そうした悪魔のような
偽善な人々を、
遠藤周作は「善魔」と書いていた。
悪魔のような善人。
このように、
悪魔と善人が同居してしまえるのが
人間の恐ろしさであり、
また、人間の可能性でも
あるんだろうな。
私も、自分がフェミニストで
あるとか、あろうとするには
まずは女性たちがどれくらい
男性優位社会で
自由や希望を奪われてきたか、
ちゃんと理解してくべきでしょう。
ああ、それにしても、
私の身のまわりには、
フェミニズムとは違うけれど、
自分は正しいとか、
賢いとか、善であると、
信じている人がけっこういる。
恐ろしや、恐ろしや。
ところで、
冒頭の言葉を説いた
渡辺一夫は、
中世フランス文学の泰斗で、
大江健三郎が大学で師事した
知識人として知られています。
渡辺さんは、
戦中から反戦の意思を貫いた
逞しき人でした。
自分の教え子が次々、
戦場に駆り立てられる時代、
自分に何ができるのかを問い、
専門は中世フランス文学ですが、
戦中、フランスの作家ジッドが
出していたナチス批判の本を
訳しています。
当時、日本では、
三国同盟もあり、
ドイツヒットラーは、
政治家から庶民まで
ヒトラーバンザイで、
国民的にも英雄でした。
私が1930年代40年代に
生きていたとして、
ヒトラーバンザイになってたか?
ならずに批判的な態度でいたか?
今なら、簡単にヒトラーには
反対と言えますが、
当時は東大ドイツ文学部が
ナチスを持ち上げたのだから、
東大の研究者だって、
信用はできません。
そんな時代に、
この渡辺一夫は、
実に勁い人だったのは間違いない。
そんな人が言うからこそ、
ハンパな善人は、
うかうか信じられないというのは、
説得力があるんですね。
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