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【詩】なぜ詩を書くのは恥ずかしかったんだろう?
詩を読む人口は、
小説を読む人口より数が少ない。
でも、それは詩にとって、
悲しいことではない。
すぐに誰でも読める小説とちがって
それなりの技術とセンスが必要な
高度なジャンルということか。
でも昭和時代に呼吸していた人間は
詩が好きだとか、
詩を書いているとか、
ましてや、詩集を作ったよ、
なんて話はまず言えなかった。
普通のクラスメイトに
そんなことを白状するのは
からかって下さいと言うような
ものだった。
詩を読むことは恥ずかしかった。
なぜだろう?
小説を読んだり書いたりするのは
カッコよくて、
詩を読んだり書いたりするのは
恥ずかしい、というのは
なぜだったんだろう?
きっと今なら、
詩を語ることも
詩集を作ることも、
ぜんぜん恥ずかしいなんて
感覚にはならないでしょう。
コミケやコミティアで
詩集を売ったりするなら
むしろカッコいいと言われそうだ。
最果タヒなんて、
若いカリスマもいる。
昔は、詩集や詩人は
暗いとか、根暗とか、
「オタク」が完全に
ネガティブで恥ずかしいこと、
気持ち悪いことだったでしょう。
谷川俊太郎の「生きる」を
教科書で勉強していた私たちは
どうも、そこでは
詩歌があまりにまっすぐ
人生の真実を、恥じらいもなく
発見し、披露するものだから、
子供たちはへそを曲げたり
してたんでしょうか?
そんな時代に、
いや、もっとずっとずっと前に、
清々しいくらいまっすぐに
「或はネリリし、キルルし、
ハララしているか」なんて、
いったい誰が思いつけるだろう、
名文句を、谷川俊太郎という
詩の巨人は書いていた訳ですね。
谷川俊太郎さんは
詩を書くことが恥ずかしいとか
暗いとか、イケてないとか
そんな扱いをされなかったのかしら?
おそらくはなかったに違いない。
これは幸運なことだ。
恵まれている。
もしも、谷川俊太郎さんが
少年時代に、
詩なんか書いて気持ち悪いな?と
言われたりしていたら?
谷川俊太郎は谷川俊太郎には
なれなかったに違いない。
そうしたら、
詩歌の分野は、
まだまだ暗い人がするものとされ、
ダサいとかキモいとか
遅れていただろう。
いや、それより、
詩の巨人・谷川俊太郎が
日本にまだ存在しなかったという
悲劇になってたに違いない。
谷川俊太郎さんはとても幸運な人だ。
それも込みで才能なんでしょう。
詩なんか読む人は
恥ずかしいと言われた昭和時代は、
なんと野蛮だったんだろう。
私はこっそりと
萩原朔太郎を読んでいた。
バレないように(汗)。