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【書く理由】人生の謎に迫りたい、だから人は小説を書き、読む

作家は何のために小説を
書くのだろう?

正直、小説を書くのは、
何か理由があるにちがいない。
 
作家という人間になりたい、から。
書くことを通して人生を送りたい、から。
そんな人もいるでしょう。

でも、作家になれるのは、
何千、何万分の1人です。
甘い夢はこの際、拭い去りましょう。

物書きというのは、
一人でも多くの人が
面白いと思ってくれるよう、
どう伝えられたらいいか?
日々格闘する人間です。

ここに、遠藤周作のエッセイ
『人生の踏絵』の一節を
ご紹介したい。

「われわれ小説家は、みなさんと同じように人生がわからないでいて、人生に対して結論を出せないから、手探りするようにして小説を書いていっているのです。
人生に対して結論が出てしまい、迷いが去ってしまっているならば、われわれは小説を書く必要はない。小説家は迷いに迷っている人間なのです。」

人生とは何か?に対する結論が
出てしまったら、
もう小説家は小説を描かない、
いや、書けなくなるんですかね。

迷いが生じるから小説家になれる。
このことは、作家指南の
レクチャーでも案外、
忘れられがちですね。

書く技術をどんなに磨いても、
キャラクター造形がうまく出来ても、
構成や展開が、うまく練られても、
そしてそこそこ面白く書けても、
書き手が人生に対して
迷いがなくて、結論が出てたら、
背骨のない魚みたいな作品にしか
ならないでしょうね。

小説やエッセイ、論考を書きながら、
人は人生の答えを探していける。

その「探す」行為の真剣さに、
読んだ人が共鳴、共感する、
というのが読書の醍醐味でしょうか。

遠藤周作は、先にあげた文章の
次にこう書いている。
「暗闇の中で迷いながら、手探りで少しずつでも人生の謎に迫っていきたいと小説を書いているのです。」

人生の結論を知るというよりは、
人生の謎に迫りたいと書いてある。

おそらく、
人生の結論を与えてくれる本は、
宗教団体のリーダーが出す本や、
自己啓発作家の本でしょう。

でも、私はそんな答えには
興味はありません。

作者と一緒に、
人生の謎に迫りたいんです。
それが、われわれを
読書に駆り立てていくポイント。
そんな気がします。

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