【使命】渡辺京二といえば、作家だった?編集者だった?
さっき新聞を見てたら
渡辺京二さんが亡くなったそう。
渡辺京二といえば、
アンチ司馬遼太郎の筆頭格でした。
司馬さんは明治が好きで
明治維新も評価する側でした。
渡辺京二は、明治や明治維新が
日本を過たせたといい、
明治が壊した江戸文化を愛した。
また、明治の中にあって
まだ江戸の名残を漂わせた人々が
好きだった。
渡辺京二の作品は、
歴史家、思想史家らしい
ぶ厚い本が多くて、
私は毎回、途中で挫折してばかり。
(汗)。
『逝きし世の面影』
『黒船前夜』などなど。
いつかは読み通したいなあ。
渡辺京二はアンチ司馬遼太郎だった。
でもそんなことは
じつはどうでもいいんです。
渡辺京二がこの世に生きた
最大の意義は、
水俣病で九州水俣の海を汚した
チッソに向かって声を上げたこと。
水俣病は公害として、
非常に早くから住民が
会社や政府と戦った地域でした。
いや、それだけではありません。
水俣で暮らす主婦、石牟礼道子に
チッソとの闘いや
水俣の自然についての悲しみを
書いてみないか?と声をかけ、
編集者として支え続けました。
それは後に『苦界浄土』となり、
世界に水俣を知らせてゆくのですが、
石牟礼道子と出会い、
この人には
書くべき深い泉があると
感じ取った、そのチカラは
渡辺京二、最大の功績に
思えてならないのです。
自身の著作では、
大佛次郎賞や和辻哲郎文化賞、
毎日出版文化賞、など、
様々な名著を残しますが、
石牟礼道子に『苦界浄土』を
書くよう依頼し、
何十年も支え続けたことが
遥かに大きな気がします。
まあ、どれが一番?なんて
話が一番おろかしい。
西郷隆盛と鹿児島の青年たちを
明治政府が壊滅させた
壮大な戦争(西南戦争)も、
石牟礼道子の目から見たら、
男たちのちっぽけな意地の張り合いが
遠くで哀しく点滅してるようにしか
見えなかった、と…。
スケールが違う、違います。
確かにあれほど不毛な行いは
なかったにちがいない。
しかし、司馬さんらは
西南戦争をずいぶん大げさに
はやしたてた。
石牟礼道子の視野の長さは
司馬さんを遥かに凌いでましたね。
その辺りも、
渡辺京二と石牟礼道子は
アンチ司馬さんという意味では
傾向が似ていますね。
まあ、渡辺京二さんも
今頃は、雲の上というか
あの世に着いているのならば、
司馬さんとは、腹を割って、
ゆっくり酒を酌み交わしてるなんて、
してないかなあ。
そこへ、4年前に他界した
石牟礼道子が加われば
がっつり濃い〜話ができそう。
贅沢な講演会だな(笑)。