【エッセイ】2月28日はエッセイの日。近藤紘一と沢木耕太郎。
今日2月28日は「エッセイの日」。
フランスの哲学者モンテーニュの
誕生日だからだそうで、
なぜ、エッセイとモンテーニュが
関連付くかと言うと、
モンテーニュが書いた『エセー』が
随筆文学の代表だから、
らしいのですが、
私は何度も硬派な『エセー』に
挫折してきたから、好印象はなく、
できたら『徒然草』の作者や
『方丈記』の作者の誕生日や
命日にして欲しかったなあ。
それにしても、日本は
つくづくエッセイの国、
エッセイを読む人が多い国、
エッセイを書く人も多い国、
だなあと感嘆してしまう。
平安時代、鎌倉時代は
『徒然草』や『方丈記』が有名。
江戸時代は『玉勝間』や
『折たく柴の記』など
学者の硬いエッセイが目立ちます。
女性のエッセイが見当たらないのが
気にかかりますが。
明治時代には、文学者が書いた
柔らかいエッセイが増えます。
夏目漱石『硝子戸の中』や
『文鳥』は何度読んでも飽きません。
漱石の親友だった正岡子規の
『病床六尺』や『墨汁一滴』など
それから、大正時代、昭和時代と
富国強兵だかで無骨な時代になると
それを発散するかのように、
柔らかなエッセイが
たくさん花開きました。
岡本かの子の『仏教読本』や
その息子岡本太郎が書いた
さまざまなエッセイも見事。
でも、これがエッセイか?と
自分の人生で最初に感動したのは、
沢木耕太郎のヒット作
『バーボン・ストリート』。
その沢木さんが憧れたのが
向田邦子の作品群で、
彼女のエッセイデビュー作
『父の詫び状』の文庫では
眺めの解説記事を寄せています。
その沢木耕太郎が
リスペクトしたエッセイストに、
近藤紘一さんがいます。
実際、近藤さんと沢木耕太郎は
年も近く、良きライバルでした。
私が大学時代にアルバイトした
産経新聞外信部は近藤紘一さんが
サイゴン支局や東京デスクを勤めて
いた場所でしたが、私がバイトを
始めた時は近藤さんは病で
他界されたばかりでした。
私は近藤紘一さんという
ベトナム戦争で活躍しつつ、
人間愛に溢れた書き手の存在が
もう少しのところで会えていた
かもしれないと思うからでしょうか、
近藤紘一のエッセイは夢中になって
読み漁りました。
時には当時のデスクたちに
近藤さんてどんな人だったんですか?
と話をねだりました。
優雅で、チャーミングというのは
どの人からも共通していたような。
だって、外信部デスクとして、
海外の支局からの記事を
軽やかに料理して
その日の国際面を組み終ると、
近くにあるソファに横になっていた
というのです。
社会部や政治部のデスクが
若い記者を叱り付けたり、
自分の部の記事を大きくしようと
編集局長と熱くやり合ってる時に
一人、すべきことを軽々と済ませ、
あとは呑気にソファの上へ…。
暑苦しい新聞局編集部の中で
なかなかそんな態度はできません。
なんて洗練された人だったんだろう?
存命中に会いたかったです。
私はバイト時代、仕事で走り回り、
くたくたになったら、
近藤さんが体を横にしてたという
ソファを恨めしく眺めてました。
黒茶色の革のソファでした。
バイト時代は、近藤さんて、
もしかして、手を抜いてたの?
とも勘ぐっていましたが、
今はそれがダンディだとわかります。
周りが熱く沸騰してる職場で
自分の体内時計に寄り添って
生きていくというのは、
勇気もいるし、クールさも必要。
凡人にはできません。
普通の凡人が熱心に
つまらない事で議論してる時、
一人、自分の心の時計に添って
振る舞える人って、
本当にダンディな人ですよね。
逆立ちしても私にはできません。
エッセイについて書き始めたら
沢木耕太郎から
近藤紘一さんを思い出すことが
できました。
近藤紘一さんは、デビュー作
『サイゴンから来た妻と娘』は
まだ文春文庫で出ています。
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