【文学】中原中也と小林秀雄。悲しい三角関係がなかったら?
あやまち。
大学生時代、
うっかりものの私は
ある詩歌をまちがえて覚えてました。
「汚れちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる」
これは、みなさんもご存知、
中原中也の代表的な詩歌の冒頭です。
でも、上記はまちがっています。
正しくは、
「汚れっちまった悲しみ…」です。
「汚れ」という名詞の後に、
小さな「っ」があるんですよね。
それを、私は友人から、
自慢げなドヤ顔で指摘され、
当時は大変びっくりし、
また、恥ずかしくもありました。
なんで、中原中也は、
変なところに「つ」の小文字を
挟んだのだろう?
一説には、
中也の生まれ育った山口県の方言とも
言われています。
何事もつい
知ったかぶりをしたがる大学時代。
さすがに、この詩歌の
読み方をまちがってたのは、
恥ずかしさがマックスでした。
ところで
この「悲しみ」というのは、
恋人・長谷川泰子が中原中也から
中也の親友・小林秀雄のもとに
出ていったことを指しています。
文学者による昭和の恋愛事件ですね。
若い文学者2人が
親しく交流していく中で、
中也の恋人・長谷川泰子が
小林秀雄のもとにいく。
こんなに悔しいことはないでしょう。
同棲してきた長谷川泰子に
ふられたこと、
文学仲間の小林を失ったこと、
どちらも悲しかったにちがいない。
特に後者がキツかったかも
しれませんね。
このエピソードは
かなり有名で、
漫画にもなっていますし、
研究本も多く、
小説にもなってるに違いないですね。
私もまだ漫画編集の現場にいたら、
この三角関係ドラマをモデルに、
恋愛&創作をテーマにした
マンガを作りたかったなあ。
いや、もうマンガ編集は諦めて、
自分で小説を書けばいいのかな?
でも類書は幾つもあるでしょう。
かなりアレンジを加えなくては。
それにしても、
恋人・長谷川泰子を
親友・小林秀雄に取られた体験が
なかったら、
中原中也は詩人として
こんなに大成しなかったでしょう。
詩歌こそ、不幸から生まれる。
順風満帆な人からは
切ない詩歌は生まれないでしょう。
詩歌と不幸の間には、
大きな関係があるのは確かです。
それから、小林秀雄も、
この、親友の彼女を好きになり、
親友をドン底に突き落とすという
体験がなければ、
後に批評家として大成しなかった…
にちがいありません。
恋愛は、人の心や体を豊かにする。
不幸な恋愛は、さらにもっと
人を豊かにするように思えてなりません。
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