【売れる本とは】良い本と売れる本はどこが違うのか?
良い本と売れる本はなぜか違う。
これは書籍の謎中の謎ですが、
今年の年間ベストセラーを見ても、
あれ?私が読んだ本で、
もっと良かった本が、
いっぱいあったよ?
と思った方は多いのでは
ないですか?
私もそうです。
『理不尽な進化論』や
『上野千鶴子・鈴木涼美
往復書簡集』などなど、
今年に出た本で、
心を揺さぶられた本は
いくつも出会いましたが、
そういうのは、
「素晴らしい」本ではあっても
「売れる」本ではないのでしょう?
編集者時代も、
この「良い本」と「売れる本」の
違いについてはさんざん
議論し、分析もし、理解もし、
それでも、いわゆる
年間ベストセラーに載るような
漫画や本は作れませんでした。
良い本を作ることは
まあ、可能です。
一切、手を抜かないで
最善を努めれば
良い本は作れます。
でも、それが
ベストセラーになるかどうかは、
もう運としか
いいようがありません。
ただ、ひとつ、今風に言えば、
マニアックな質を備えた
ねばっこさ、というか、
もやっとした感じというか、
なんだか妙に書いた人が
ねっとりと身近に感じられるものが
売れるらしい。
サラサラした感じの小説は
マニアックな欲望を満たさないから
やはり、サラサラよりは
ネバネバな方がいいらしい。
これは書いてる人には
今ひとつ自覚しにくいのですが、
読ませていただく分には、
すぐに感触としてわかります。
ネバネバか、サラサラか。
ネバネバとしてる、
サラサラしてる、というのは、
中身がねっとりしてるとか、
納豆がよく出てくるとか
そんな意味ではないんです。
なんだろう?
まだなお、私には、
良い本と売れる本の区別を
口ですーっとは言えないのか。
まだまだ未熟だなあ。汗。
数年前に出た青春小説
『君の膵臓を食べたい』。
膵臓を食べたい、と言い切った所に
あの本の読者への本腰具合は
よく伝わりましたね。
気障さがない。
もうきれいごとが一切ない
切羽詰まった感じがよく出てた。
ホラーすれすれな感じが。
あれが「キス」「心」「欲しい」では
気障というか、いっぺんの綺麗ごとで、
具体的な鷲掴み感覚がでなくて
妙に白けた題名になったでしょうね。
「膵臓を食べたい」というと、
最初に気に入るかどうかは
分かれるとしても、
しばらく、脳に焼き付きますよね。
印象が濃いといいますか。
でも、正直、
『君の膵臓を食べたい』は
中身は、まあ、普通だ。
よくある若者の恋愛小説。
あれがあんなに
ベストセラーになったのは、
版元・双葉社の徹底した
プロモーション活動のおかげですが、
もうひとつは「膵臓」という
キーワードを得たことですね。
さて、話は相当、逸れてしまった。
もとに戻しましょう。
良い本と売れる本は
何が違うのか?
読んだことがしばらく
頭から離れないこと、
いつまでも脳みそに
焼き付くこと、ですね。
私の記事は、
どちらかというと、
サラサラ系ではないですか?
そんな自覚はあるのですが、
でも、じゃあ、今から
ネバネバ系になるように変えることは
自分ひとりでは
できないんですよね。
それが分かっていれば
今頃、フォロワー1万人に
なってるでしょうから(笑)。
何が人の印象に残りやすいのか?
この永遠の問いに
答え続けることこそが、
こうしてnoteを書き続ける理由
なのかもしれません。