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【小説】一人称のメリット&デメリット?

一人称の小説は、なぜこんなにも
ひとの心を掴むのでしょう?

それは内面を掘って掘って
掘りまくることができるから。

内面を掘る専用の
ショベルカー?
みたいなものなんでしょう。

思えば、太宰治の
『人間失格』は
冒頭の酒場のマダムの序文も含め、
全部、徹底的に一人称ですね。

自分が普通の?人かどうか
疑いながら、
自分の葛藤を書くなら
一人称しかない。

もしもこれが
三人称形式であったなら、
また全然、趣が違う作品に
なっていたでしょうね。

ちょっと読んでみたい気もしますが。

ただ、その分、
他人の理解力や他人への思いやりが
どうしても、空回りしたり、
自分勝手に見えたりします。
三人称なら持ちえる客観さが
一人称では出ないんですよね。

一人称はあくまで自分語り。
疾走する感情、
溢れでる感情、
舞い上がる感情は
ぐいぐいと描けます。

ところが、
世界には、他人も一緒に 
生きていますね。
感情も責任感も異にした人々が
いっぱい生きています。

そんな他人への目線や感情を
一人称は一方的にしか描けません。

相手側がどう感じてるかは
推測で書くことになります。

ちょっと話がとびますが、
10年くらい前、
『人間失格』をコミカライズ
する仕事をしたことがあります。

漫画家さんは
太宰のファンだったので
問題もなかったのですが、
脚本家の女性が、
太宰の自分勝手さを
いたくお気に召さなくて、
全然、理解したくない!くらい
嫌いになってしまった。

いや『人間失格』は
太宰の自己告白ではなく、
作家として、巧妙に
告白してる体なんですがね。

そこをわかってもらえないと
嫌いで嫌いでしょうがなくなる。

この時は困りました。
非常にまじめで責任感も強い
その脚本家さんに、
太宰の核心部分まで
理解していただくまで本当に
時間がかかってしまいました。

それくらい、
一人称語りは、
自己陶酔の香りが強いんですね。

それくらい、
一人称は、良くも悪くも
エゴイズムを描くにはもってこいですが、
まっとうな人間の言い分を
冷静に客観的に語れるかどうかは、
その作者の腕力にかかってきます。

村上春樹も、
この作品は一人称にしようか?
この作品は三人称にしようと、
そこはかなり意識的ですね。

そうして、
広い世界観を語るには、
三人称が向いているというのは、
春樹自身、どこかで書いていました。

一人称は、やはり
ラノベや青春小説や
遅咲きの青春ストーリーに
向いているのでしょうね。

心の一番奥底の思いを
読者に届けるには、
一人称のショベルが
ピッタリなのですね。

これが、
自分以外の人間の感情も
自在に表すには、
三人称の「ショベル」が必要になる。
近しい人や、
その人をめぐり対立するライバルの
感情や気もちを
深く掘って掘って掘りまくるのは、
やはり、一人称語りでは
リーチが届かないのですよね。

さて、次回は
三人称について
考えてみたいと思います。

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