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【目的】noteを書く楽しみは、現実逃避の蜜の味?(笑)


私は何かを得たくて
noteを6年前に始めました。

何かを得たい?
いや、何を得たい?

残りの人生で、就くべき道を
探しあてたかった。

介護士?福士士?
保育士?
日本語教師?
葬儀場スタッフ?
書店員?
毎日、日記のように自分を
振り返りながら書いてみれば
きっと自分の鉱脈に出会うはずだから。

さて。いまの会社は、
私がうつを再発しない限り、 
あと4年勤めて、定年になる。

問題はその先です。
いまの会社での再雇用で
第2の人生を同じ景色で
過ごしていいものか?どうか?
悩んでいるのです。

せっかくの一度きりの人生、
第2の人生は、
やはり今とは異なる景色に
身を置きたい。

とはいえ、
60歳の、おそらくまだウツ持ちの
おじさん、もとい、おじいさんを
雇うような会社や団体は
そうたやすくは見つかるまい。

ならば、ここは、
何らかの資格があれば就ける
職種がベストでしょう。 

とはいえ、
noteを始めて6年めになるのに、
気付いたら、
第2の人生のための考察は
ちっとも進んでいない。

まあ、どうしようかしら?!
 
ついつい本の話ばかりしてる。
それがイケナイのか?
あるいは、もう少し今の流れを
掘り下げたら、
いつか鉱脈にぶち当たるだろうか。

時々、私はこのnoteで
何をしたかったのだろう?と
途方にくれてしまう。

noteは自由で寛大だ。
なにをしても許される。
そこに甘えるとついつい
居心地が良すぎて、
やりたい放題になる。

こうなったら
週に一度は、
第2の人生のための考察日を決めて、
毎週書くと決めなければダメだ。

いや、毎日、好きなことを
自由に気ままに書けるのが
noteの良さではないのかしら?

そうそう、堅苦しく議題を
決めるなんて、粋じゃない。

う〜ん、結局、こうして
稀代の優柔不断人間は、
またしても、
第2の人生のための考察を
サボろうとしている。
noteは人生を考えるための場所だ、
とかいって、言い訳もして。

やれやれ、
noteを始めた目的を
これではいつまでたっても、
果たせないじゃないか。

でも、現実逃避は蜜の味。
noteを書いていて楽しいのは、
最高に甘い蜜の味のせいかもしれない。
やれやれ。

 

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