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【読書】血肉になる読書ってどんな読書?

本で読んだ知識や言葉は、
どのようにしたら、自分の心の
「血肉」になるのでしょう?

若い頃は、 
血肉にならない読書は
間違ってる読み方だ、ニセモノだ、
絶対に血肉にしなくちゃならない!
そう勢いこんでました。

ところで、
血肉になるって
どういう事をいうのでしょう?

若い頃は、そんな事について
きちんと厳格には
考えていなかったようです(笑)。
「血」や「肉」という言葉の
インパクトが強くて惹かれて、
「読書の血肉化」をやみくもに
自分に課してきた。

でも、血肉になった本、
血肉にならなかった本というのは、
うまく言えないけど
確かにあるような…気がします。

どう読んだら血肉になるんだろう?
どう読んだら血肉にならないんだろう?

再読した時か?
三読した時か?
ゆっくり読んだ時か?
アンダーラインを引きながら
読んだ時か?
書き込みをしながら読んだ時か?

その辺りは、人によって
ちがうでしょうか。
ただ、これだけは言えるかな、
と思うことがあります。
その作者の心を、
書いた背景を、
書かれた言葉の向こう側を、
ズバリ読み解こうとする気迫が
あるか、ないか?に
かかっている気がします。

昔の言葉で言うと、
「眼光、紙背を徹す」
「読書100篇、義おのずから通ず」
そんなフレーズがその辺りを  
言ってますね。

今風に言うと、
作者とガップリ4つで
対決してやる!という気迫。

そういえば、昔は
肩に力をガチガチにいれながら、 
目を真っ赤に腫らしながら、
本を、一冊一冊、相手にしてたなあ。
最近、そんなに気迫を込めて
読んでないかも、汗。

学生時代は、本を買うお金も
今より少なかったけど、
気迫は今の何倍もありました。

そうだ、久しぶりに
作者と対決するつもりで
本に向き合おうかしら?

「血肉」になるかどうか?
それは、読書に込める気迫ですね。

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