見出し画像

【創作】三人称小説は、ドローンの操縦によく似てる?

三人称の小説。

というと、何か小難しい話かと
思われるかもしれませんが、
19~20世紀のほとんどの文豪小説は、
三人称の小説です。

作品の主人公やその相手、
また周囲の人々を
そのまま「描写」してる物語、
それが三人称小説ですね。

作者の「告白」ではなく、
神様の視点での「描写」です。

ところで、
三人称で書き進める
メリットは何でしょうか?

三人称は「ドローン」と
構造がそっくりに見えます。

ドローンは、
100メートル離れた場所にも行けて、
しかもそこでクルクル回ったり
徐々に高さを上げて行ったり、
色んなことができますが、
これは手元の操縦マシンから
ドローンに直接、指示が
行っている訳ではなく、
上空の衛星に指示が行き、
その指示が、飛行中のドローンに
届いているからですね。

はるか上空にある衛星がカギなんです。
その俯瞰的な、高い高い視点。
三人称の小説を書く時は、
自然と長いリーチを与えてくれますね。
告白体では取得できない
長くて遠い、真実を深掘りできる視点。

これが三人称小説のメリットです。

この高い視点があるから、
主人公の内面だけでなく、
その妻や、その妻の友人や
自身の親などの感情や考え方も
克明に描くことができるんですね。

また、自分の上だけでなく、
実際に今、世の中が
どうなっているか、
広い視野で描けるのも
ドローンのように
高く広い視点が
獲得できるからですね。

ここで、また私の余談を少々、、、。
昔、20才の頃に書いたへたっぴな戯曲を
ある人に見せたことがあります。
すると、なぜか「きみ、童貞でしょ?」と
笑われました。汗。

戯曲、つまりシナリオですから
Aさん、その友人、大家、警察官など
色んな人が出てきます。
一人ひとり、キャラ分けして書いたつもりでしたが、
どれも同じ人にしか思えない、
キャラが一種類だよ、
他人が書けてないよ、
と言われたんです。

もう耳が真っ赤になるくらい
恥ずかしかったですね。
私は想像力で他人になりきることが
できなかったんです。
それは今もあまり変わりないので、
結局、小説は書けません、汗。

さあ、話をもとに戻しましょう。

19世紀文学や20世紀文学の大半は
ディケンズ、トルストイ、
スタンダール、チェーホフ、
漱石、芥川、宮沢賢治など、
古典作品は、その多くが
客観的な導入&時代説明から
始まることが多いので、
自然と、三人称で冷静に
語ることになるんですね。

それから、神話や昔話も。
「むかしあるところに
おじいさんとおばあさんが
おりました。」というのは
明らかに三人称的な視点から
語られていますね。

もちろん、
樋口一葉の「たけくらべ」など、
告白体の一人称小説もありますが、
これはわりと新しいんですね、
人類の歴史的には。

それから、三人称が優れているのは
自分自身をはるかに遠い場所から
見つめることができることです。

三人称小説を
書いたり、読んだりすることは
ドローンを遠く高く飛ばすことに
よく似ている、、、ような。
本当でしょうかね(笑)。

いいなと思ったら応援しよう!