【文学】マイノリティ発→普遍文学へ。中上健次と北条民雄の昇華力!
「リベラルな文学」ってあるだろうか?
という疑問について
昨日、書いてみたんですが、
私、とんでもない見落としをしてました。
超~重要な作家を、昨夜はなぜか
忘れていたんです。
被差別部落をテーマにした
和歌山熊野の作家・中上健次が
いたことを!同県人なのに!
『枯木灘』『千年の愉楽』『奇蹟』。
どれも部落を舞台にした人間模様。
でも、だからと言って、
部落差別を無くそうなんて話ではなく、
部落で生きる様々な人の
運命や宿命や業の深さを
ひとつの宇宙として昇華している。
左翼だ右翼だといった主張はない。
事実、左翼の吉本隆明からも、
右翼の江藤淳からも称賛されてきた。
でも、中上健次は部落を自分の
文学創作の根底にしてきたから、
当然、反政府、反権力の人でした。
でも、政治信条に関係なく
彼の文学は読めます。
そこまで昇華されているのは、
石井光太さんのルポものとは
蒸留・発酵のさせ方が違うんです。
もう一人、このコロナ禍で
角川文庫から改めて書店に
プッシュされているのが、
北条民雄の『いのちの初夜』。
感染症で今は薬で完治する
ハンセン氏病になった体験を
東京の多摩全生園に入る日から
いや、診断書とともに
隔離されることが決まってから
命が尽きるまでの壮絶な日々を、
見事な文学として昇華しました。
創元社からは文庫サイズで
北条民雄全集(2冊)も出ています。
北条民雄以外にも
創作で小説や短歌や日記を書いた人も
沢山いるのですが、
北条民雄は実体験を
ストレートに書くのではなく、
しかし、患者でなければ
判りようもない痛みや苦しみを
しっかりと創作レベルに
書き上げた人でした。
この人は、全生園から
何の縁もなかった川端康成に
小説を書いて送りつけ、
新人文学賞を得るほどまで
壮年期の川端を奔走させました。
当時はハンセン氏病の人からの
郵送物すら感染を恐れた時代。
(そんなことで感染はしません)
志賀直哉は、川端の部屋に
立ち寄った時、机に北条民雄の
手紙があったというだけで、
慌てて部屋から逃げ去ったほど。
無知な差別的作家であったのです。
いや、志賀さんはスペイン風邪で
娘をなくして感染症に異常に
過敏になってたのでしょうか?
それにしても、北条民雄が
書いた手紙を見て、逃げ去るとは?
当時はでもそんな人が多数派
だったかもしれませんね…。
でも川端康成だけは、
北条の文学の才能を見込んで、
全生園から来る原稿を次々に
出版社に売り込み続けました。
並みの人間ができることでは
ありませんね。
今のコロナ感染差別を考えても
あれだけ自粛警察がいたんですから。
川端康成というと、
今は読者も減って
『雪国』『伊豆の踊子』『山の音』
辺りが読まれるくらいかしら?
川端康成は作家であると同時に
編集者としての才能も矜持も
すごかったことは確かです。
さあ、また私の悪い癖で
話はそれまくりましたが、
リベラルな文学については
また今度、ゆっくりと…。
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