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【無頼派対決】太宰派か、安吾派か、皆さんはどっち!?

太宰治派ですか?
坂口安吾派ですか?
みなさんはどちらでしょう?

私は正直なところ、
青春時代に太宰に染まってしまった
スノッブな文学青年でしたが、
そんな自分がイヤでイヤで、
自己反発するように
坂口安吾に傾いていきました。

二人を一言でいえば、
自己愛の太宰。
自己破壊の安吾。

まあ、これはざっくりした
俗っぽい分け方ですが。

さて、倉橋由美子に
「坂口安吾論」という
文学エッセイがあります。
とても鋭く的を射ながら
また大胆な趣きもあり、
読んでいて愉快でした。
そんな愉快さをみなさんにも
味わって欲しくて、
今からここに引用します。
ただし太宰の自己愛に
耽溺している方には
オススメできません。
そろそろ太宰の毒から抜けたいと
思う方に読んで欲しい。

「坂口安吾はひとに愛される作家では
ないようです。愛してくれるものたちを
もたない作家は忘れられます。
ずっとまえに世を去った太宰治のほうは
いまだに異様な親衛隊につきまとわれて
いますが、坂口安吾にはそういうものは
ありません。
 坂口安吾が愛されない理由ははっきり
しています。安吾の文学は、太宰のそれ
とはちがって、性的な構造をもっていない
ということにつきます。
太宰の場合、文学とは他者との精神的媾合の
関係そのものでした。かれのことばは
精神の恥部をめざす愛撫の手であり、
読者は精神の性感を燃やしながら
太宰治を愛してしまうのです。
わが安吾にはこの資質が欠けています。
安吾の文学は性的誘惑とは無縁のものです」

ちょっと長くなりました。
いや、かなり長くなりました。
どうもすみません。

倉橋由美子が、明らかに
太宰には好意をもたず、
安吾を愛しているのは、
言葉の端々に出ていますが、
その説明がやけに腑に落ちるんです。
そう思うのは私だけかしら。

太宰治は、ひとことでいえば
現実にモテる人間が、
そのまま小説の世界でも
読者から愛情を欲しがっていた
ということですね。
言葉は悪いですが、私は太宰を
愛情乞食と呼んでいます。
一方で、安吾は他者との甘い結合は
一切求めない見栄っ張りですね。

それにしても、太宰マニアを
「親衛隊」と呼ぶあたりは
思わずニヤリとさせられました。
親衛隊。確かに、太宰のファンは
独立した精神性を持っていない。
気ぐらいは高いけれど、
独立性がないのは太宰ファンの
致命的な弱さだ。
ふっと20代の自分を思い出した。

ああ、歳を経ればだんだん 
坂口安吾に惹かれるようになるのは 
確かですね。 
という訳で、少なくとも今の私は
安吾派ということになるのかな?
太宰治みたいに周囲の人々から
愛情を欲しがる愛情乞食には
ちょっとうんざりしてるのかも
しれません。

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