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谷川俊太郎を私はまだ追悼できない

谷川俊太郎さんが亡くなった。
もう2か月にもなるのに、
なんだか、谷川ロスは続いている。 
というか、谷川俊太郎は
私の心でずっと生き続けている。
生きていた頃より、
さらに濃厚に谷川さんは生きている。

亡くなった当初、
たくさんの著名人が
たくさんの追悼の記事を書いたり、
自分がよく知る谷川さん像を
語っていたけれど、
不思議なくらい、
他人が描く谷川さんには
興味が出ませんでした。

なんだか、それよりは
一つでも、谷川さんの詩を、
またはエッセイの一部でいいから、
谷川さんの作品を読みたくなった。

谷川俊太郎は、真っすぐ
読者に向けて歌っていた人だ。

読者をこんなに大切にした人も
いなかった。

とにかく谷川俊太郎さんが残した
1行でいいから、
自分で直接、味わいたかった。

それに、
谷川ワールドのせいかしら?
彼の詩を味わうのに、
他人が語る谷川さん像は
読解のプラスにはならず、
刺激にもならない気がするんです。

不思議な気がします。

いつもは、
他の作家や映画監督や詩人が
亡くなった時は、
新聞や雑誌に掲載される
追悼記事は、探してでも
読み漁りたいほうなのに。

谷川俊太郎は、一読者の私と地続きで
つながっていたのでしょうね?
少なくともそう信じさせてくれる
不思議な魅力の人でした。

だから私はまだ谷川俊太郎さんを
追悼はしないし、できませんね。

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