【作品】なんでもカテゴライズするのってどうなんだろう?
日曜のドラマ
『日曜の夜ぐらいは』
今季で一番楽しみなドラマです。
清野菜名、めるる、岸井ゆきの。
3人の女子たちの現実を
丁寧に描いて共感できる。
脚本はベテラン岡田恵和さん。
このドラマについて、
ツイッターやホームページを観てると
「シスターフッド」という言葉を
よく見かけるんです。
シスターフッド?
普段もネットで見聞きします。
フェミニズムの小説のオビや
フェミニズムの記事で見かける。
辞書で調べたら、
(1)姉妹愛。
(2)女性同士の友情。絆。
と出てきました。
そっかあ。
『日曜の夜ぐらいは』は
女性の友情、信頼が
テーマだったのか。
気づくのか遅すぎですね(笑)。
でも、このドラマを
「シスターフッド」ドラマだと
分類したり、
カテゴライズするのは、
ちょっと違う気もします。
でも、特徴は何か?
分かりやすく紹介するには、
シスターフッド・ドラマ
ということになるのか?
この日曜ドラマを
シスターフッドだというと、
三人の女子の在り方、だけではなく、
母と娘、
父と娘、
祖父と娘、
車椅子ユーザーと娘、
パワハラ、セクハラ、
若い女子の貧困など
色々な事柄が描かれていることが
言えてない気がします。
作品を安易にカテゴリーしたり、
形容したりするのは、
一面的になり過ぎますよね。
そういえば、
朝井リョウの「何者」を
「就活小説」とカテゴリーにすると
なんだかつまらなくなる。
原民喜の「夏の花」や
井伏鱒二の「黒い雨」は、
原爆小説っていわれがちですが、
原爆小説っていわれると
腰が引けてしまうところがある。
さて。ここからです。
小説やドラマで
分類やカテゴリーを止めると、
どうなるか?
昔なら、
ヒューマンドラマと呼ぶことが
多かったですね。
今は滅多に見かけませんね。
今どき、
出版社やテレビドラマの世界で、
「これはヒューマンドラマです」
みたいな、漠然とした形容では、
まず上司からボツにされますね。
何かを伝えようとして、
でも「ヒューマンドラマ」は
間口が広すぎて、
何も言ってないようになる。
「日曜の夜ぐらいは」は
女子の友情物語としておきましょうか。
でも、面白そうには感じにくいな。
カテゴリーは、
可能ならしない、言わないのが
いいのでしょうか。
色々考えたつもりですが、
収穫はなかった(汗)。
追伸
「シスターフッド」
という言葉があるなら、
「ブラザーフッド」と言う言葉も
あるかな?と調べてみました。
在りました。
ブラザーフッド、
(1)兄弟の関係性。
(2)人類愛。
なぜ「ブラザーフッド」は、
人類愛を指すのか?
オトコは人類を表す、というなら、
思い上がった偏見から
生まれてますね。
ブラザーフッドと呼べる
ドラマや小説や漫画って
なんだろう?
漫画『ワンピース』かな?