「情報共有」が個人の生きる力を弱らせている?
うつによる一年半の休職から脱出し、
無事に会社に復帰した、
そうはしゃいで書き立てて、
1ヶ月が過ぎました。
そうしたら、先週月曜からまた体調を崩し、
一週間以上休んでる。
原因は新しい職場の人間関係が大きい。
なんてこったあ?!
すっかりはしゃいで、
うつももう治ったよ、
これからの人生を健やかに
生きる知恵も身につけた、
もうバッチリだよ、
そんなnoteを何度も書いてしまった。
それが1ヶ月ばかりで、このざまに
なるなんて。ダメなやつ~~涙。
漫画の編集部にいた時は
好きなことを好き勝手してた。
会いたい人に会いに行き、
書いて欲しいと思った人には
まず手紙を書いたり、
お電話したりしてた。
社内決裁は、話が現実化の
メドがたってからでした。
だから、毎日のように
好きな人に会い、
好きな人と打ち合わせした。
打ち合わせの後は、
少しお酒も含めた会食も
しょっちゅうでした。
メールも当然し放題。
でも、最近はなんでも
かんでも「情報共有」だとか。
メールひとつ送るのに、
必ずCCで複数にも見せる時代。
情報共有が当たり前になった
最近の風潮、、、個人的には
好きではないですね…。
これは万が一、トラブルに
なる可能性を防ぐ意味合いが
大きいですよね。
穿って見れば、トラブルの予防に、
上司や同僚を担保にする仕組みですね。
お客さまコールセンターと
同じ発想を、毎日の仕事の
全てに持ち込んでる訳です。
ああ、なんたる腑抜けな時代か…。
確かに安全かもしれない。
スマートかもしれない。
でも、人間一人一人が
自分のお尻を自分では
拭けなくなってきた証拠。
(下品な言葉ですいません)
家を一歩出たらもう危ないんだぞ、
安全はないんだぞ、そう言われてるよう。
それにしても、
「情報共有」で様々な安全を確保し、
様々な危険を排除し、
その代わり、一人で地面を踏みしめて
生きていく覚悟の人間は
減ってしまったような。
みんな常に誰かに&何かによって
守られているのですから。
仕事で食い違いが出たり
行き違いがあっても
当事者同士で話をして
解決策を探せばいいのに…
と思ってしまう。
もうこの発想、
すでに昭和でしょうか?汗
誰もが自分のお尻を自分では
拭けない時代。
そんな状況をよく表してるのが
「情報共有」という言葉では?
そんな気がしてなりません。
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