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【10月振り返り】過酷なヨーロッパ旅 – 2週間の軌跡

10月になり今にも冬に入っていくような肌寒さを感じる時期になりました。

8月にデンマークについた時は、夜の9時を過ぎても明るいままで空を見ると不思議な感覚になっていましたが、今では日の入りもずいぶんと早いです。


🇪🇺2週間ヨーロッパ旅

🇵🇱ポーランドスタディートリップ

10月はホイスコーレの一大イベントである「スタディートリップ」がありました。私の学校ではコロナ以降「スタディートリップ」は中止されており、4年ぶりです。

スタディートリップは私の学校だけでなく、他の学校でも行われています。この旅の目的は学校の授業やテーマに関連した体験をしたり、普段とは違った環境でみんなと過ごすことです。

私の学校では「ボスニア・ヘルツェゴビナ」と「ポーランド」へ行くグループに分かれました。旅の1ヶ月前から、先生たちから旅のプレゼンを聞き、グループを決めました。私は「アウシュビッツ」に行ってみたかったので、ポーランドにしました。

プレゼンは紙芝居!?

スタディートリップの前からも、ポーランドに関連する映画を見たり、グループで調べ物をしたりしています。例えば、アウシュビッツに絡んで『縞模様のパジャマの少年』や『シンドラーのリスト』という映画を見ました。

🇭🇺🇦🇹🇮🇹アフタートリップ

スタディートリップが終わった後は、1週間の長期休みがあります。旅先から学校へ帰らずに、さらに海外旅行もできます。

私は、同じポーランドグループのメンバーと「ハンガリー」、「オーストリア」、「イタリア」の3カ国を周りました。前置きが長くなりましたが、今回は2週間の旅の思い出を綴っていきます。

🇵🇱ポーランド過酷な旅

1日目:過酷な旅の始まり

夜21時過ぎに、デンマークからポーランドまでバスで移動しました。移動時間は17時間です。。しかも、途中休憩はほとんどありません。。。

どうして飛行機を使わず、バスで移動するかと言うと、「環境のため」が理由です。飛行機はバスと比べ、排出されるCO2の量がはるかに多いからです。いわゆる「飛び恥(Flight shame)」です。

コペンハーゲンから飛行機でポーランドに行っても、1時間30分ぐらいで数千円で乗れます。本心は「飛行機でいいじゃん」と思っていたのですが、同じ学校のベルギーの子が、環境のためにバスで24時間かけてポーランドからオランダに移動すると聞いて、自分を少し情けなく思いました。

ヨーロッパ中を走る長距離バス『FLIX BUS』の乗りました。

2日目:ポーランド着・ホテル騒ぎ

2日目も、ほとんどバスに乗っていました。夕方過ぎにホテルに着いて、一息して、ポーランド料理を食べるとあっという間に2日目も終わってしまいました。

宿泊先は男女一緒で、予算を優しそーな場所に泊まりました。(学費の範囲で追加費用なしで、旅できるだけでありがたいですからね。)

それでも、3日目の話になりますが、夜21:00過ぎに帰った女の子2人が外にいた男性の声をかけられて逃げたら追われたと言う事件がありました。

無事に帰れたものの、あまり治安の良い場所にあるとは言えないホステルを選んだ先生たちに問題があるんじゃないと言う話、それでも私たちは生徒であると同時に大人でもあるなど、色々揉めました。。

この後も私たちに追い討ちをかける出来事が続きます。。

ホステルの共有スペース

3日目:施設へ訪問

バスの疲れも残しながら、朝7時30分から朝食を食べ(早いよ。。)、午前中は『カリタス(Caritas)』と言う、世界で人道的支援などをしているカトリック慈善団体の施設に訪れました。

カリタスの活動内容の話もありましたが、活動をインプットするというよりは、施設の雰囲気を体験したり、現地の方と交流する時間でした。

カリタスの施設

午後からは、1番最初に世界遺産に登録された『ヴィエリチカ岩塩坑』に行きました。13世紀から20世紀にかけて、岩塩の採掘坑だった場所です。入り口から地下300m以上、階段をひたすら降りた後に広がる塩の宮殿は美しさと同時に、人が長い間かけて作り上げてきた歴史を感じさせられました。

周りは全部「塩」

4日目:スープボランティア組と自由行動組

朝7時に朝食を食べて(早いよ。。)、この日はスープ配りのボランティアをするチームと自由行動をするチームに分かれて行動でした。

私は自由行動するチームだったので、近くのお城や博物館、お土産屋さん周りをしていました。

ヨーロッパらしいお土産屋さん

5日目:アウシュビッツ見学の前に、また一難。

この日は、朝4時に起きて、アウシュビッツに行きました。(朝早すぎる。。。)

実は前日の夜21時過ぎ、アウシュビッツの施設から、朝8時から朝の5時40分にバスのピックアップ時間が変更になったと連絡があったからです。

なぜ急に大幅な時間変更があるのか?先生も生徒もパニックでした。「は〜」と言う感じです。(みんなの疲れも溜まり始めたせいか、前日には体調不良者も出てきました。)

アウシュビッツに着くと、その重く苦しい雰囲気からから、みんなの表情は暗いように感じました。

私もアウシュビッツの歴史について、帰り道のバスの中で色々と考えていたのですが、宗教の根深い問題に加え、当時の時代背景と絡みながら起きたことなんだなと思いを巡らせてました。

歴史は偶然の連続とも言われる一方、それは必然でもあった。まさに、そんな場所でした。ホロコーストが起きた歴史的な背景を少しだけ書きます。

ユダヤ教はイエスを救世主として認めなかったこと、イエスが死んだ責任として、キリスト教徒からずっと憎まれ続けられた宗派でした。

そのため、ユダヤ人は職業も自由に就くことができず、キリスト教徒が嫌がる金融業に従事するようになりましたが、結果としてユダヤ人の経済的成功に繋がりました。それによりさらに、キリスト教徒から蔑まれていきます。

「反ユダヤ主義」は20世紀に入っても根強く残りました。その後、ドイツは第一次大戦の敗北により多額の賠償金と背負わされ経済的不況に陥りましたが、特に裕福だったユダヤ人が悪者に仕立て上げられるようになりました。

そこで、ドイツを強力な国家へ変えるために頭角を現わしたのが、ナチス党首アドルフ・ヒトラーでした。

第一次世界大戦敗戦後のドイツの経済的背景、ガス室を代表する化学兵器や生かさずとも殺さない労働システムが確立できた文明の進歩、その上に長い歴史が積み重ねたユダヤ人への差別意識などが複雑に混じり合ったからこそ、アウシュビッツは歴史上最も悲惨な歴史を象徴する場所として残っているのだと感じました。

収容者を運んだトロッコが走ったレール。トロッコには窓もなく、ぎゅうぎゅう詰めで運ばれた。

6日目:ザコパネで過酷な17kmハイキング(むしろ登山)

南ポーランドにある『ザコパネ』という場所に前日の夜からバスで2時間ほどかけて行きました。

朝の6時30分から朝食を食べて(変わらず早い。。)、近くの山へハイキングに行きました。前日の天気はあいにくの雨だったのですが、ハイキングの日は快晴で絶好のハイキング日和でした。

ハイキングだから「綺麗な景色を見ながら、みんなとゆっくり歩くんだな」ぐらいの軽い気持ちでいたのですが、山を登っていくと、みんな異変に気がついていきます。

1人しか歩けないような幅の道を1列になって歩いたり、急な斜面、ゴツゴツした岩を手を使いながら歩いたりと、ハイキングというより登山でした。途中脱落者も出そうなぐらい過酷でした。

引率の先生が2人ともが途中で、行方不明になるという事件も起きました。山なのでスマホも使えません。先生たちは自分たちだけで違う道に行っていたそうです。ガイドさんがいるのにも関わらず。。日本であれば大問題になりそうです。。

道の合流場所で先生を待つ様子

7日目:ロープウェイとプール

朝の7時半に朝食を食べ、ロープウェイで山の頂上へ登りました。霧が濃く、山から眺める美しい光景はあいにく見ることはできませんでしたが、Googleで調べた写真を見ながら、綺麗な時はこんな感じかと想像を膨らませていました。

前日と今日の疲れを残したまま、午後からは温水プールがある場所に行きました。温泉に入ったり、スライダーに乗ったり、なんだかんだ楽しんでいました。

霧で真っ白な光景

8日目:旅の終わり

朝の7時に朝食を食べ、バスでポーランドのクラクフに戻りました。学校へ戻らないグループは解散となり、長く過酷な1週間のスタディートリップは幕を閉じました。この後は、学校としてではなく、個人としての旅が続きます。

ザコパネでのディナー。イタリアン料理をみんなで食べました!

気づき・感じたこと

肉体的に本当に疲労が溜まった旅でした。外国人との集団行動、いろんなことに振り回されたり、人生で一番過酷な旅だったなと思います。

旅の学びに注目した時、ヨーロッパの国と国との繋がり、歴史の時間的な深さを意識した旅でした。

その理由の1つに、移動中に何度も国境を越えたからです。日本だと県境を越える経験はあっても、国境を物理的に越える経験はできません。ヨーロッパの国境について、少し調べてみるとヨーロッパの国境は、歴史的、文化的、政治的に根深い問題であり、長い時間をかけて今の形になっています。

ヨーロッパの多くの国境は、19世紀以降の戦争や条約に基づいて引かれているそうですが、その過程で多くの民族や文化が分断されたり、多くの問題を引き起こしました。ポーランドでは度々国境が変わるたびに、民族間紛争の緊張が走ったそうです。

アウシュビッツに訪れた話も関係しますが、歴史を積み重ねながら、ホロコーストを起こしました。対立の根深さは宗教や人種問題が少ない日本では感じにくい、宗教や国同士の対立が起こす恐さを感じました。

山頂でGoogle Map上はポーランドを超え、スロヴァキアへ。

🇭🇺🇦🇹🇮🇹アフタートリップ

スタディートリップ後のアフタートリップについても少し紹介します。

🇭🇺ブタペスト(ハンガリー)

ポーランドからバスで8時間ほどかけて、ブタペストに行きました。

世界一美しいという『国会議事堂』の夜のライトアップは本当に綺麗でした。その美しい街並みは1987年に世界遺産に登録されましたが納得です。

夜の『国会議事堂』

🇦🇹ウィーン(オーストリア)

ウィーンといえば音楽の都で、モーツァルトのような偉大な作曲家たちが生まれ、活躍した街です。街を歩いていると自然と、外で音楽演奏をしている人の姿を見られます。駅の近くには近代的な建物も多く、ヨーロッパの雰囲気にアクセント加えたような街でした。

世界的に有名な美術館や博物館も多く、1日しか観光できる時間がなかったのですが、至る所が観光名所で、飽きることはなかったです。

世界一美しいとも言われる『オーストリア国立図書館』

🇮🇹ヴェネチア(イタリア)

ウィーン中央駅から寝台電車で10時間ほどかけて、イタリアのヴェネチアに行きました。寝台電車は木の椅子で、リクライニングもなく、ヴェネチアについた後はヘトヘトでした。私たちは一番安い席を取りましたが、値段が高くなっても良い席をとっておくべきでした。

ヴェネチアの駅を降りるとすぐに、美しい運河が待っています。世界中の人が憧れる「水の都」は本当に絵画のような風景でした。

平日ながら観光客で混雑していて、ヨーロッパと思えないほど、日本人観光客も見かけました。さすが一生に一度は訪れたい都市なだけあります。

ヴェネチアの橋からの風景

🇮🇹ミラノ(イタリア)

ヴェネチアから高速列車で2時間かけて、ミラノへ移動しました。ミラノの街の中心に行くと世界最大級のゴシック建築の『ミラノ大聖堂』を見ることができました。圧倒的な存在感を放つほどの大きさと迫力がありました。

ファッションの街と言われるだけあり、個性を表現したような服を着た女性たちが写真を街中で撮る姿をよく見かけたのが印象に残っています。

『ミラノ大聖堂』写真だと迫力が表現できない。

🇪🇺さいごに

2週間の旅行は短いようであっという間でした。まだ見ぬ土地に足を踏み入れることは、本当に楽しかったですが、本当に疲れました。。

最後に当たり前でありながら大切な気づきを書きます。短期間にたくさん国を訪れるよりも、1つの国で丁寧に観光した方が満足度が高いということです。食べ放題で食べすぎないのが本当は良いのと同じかもしれません。

これは勉強や人生でも同じです。短期間にあれこれ手をつけるより、まずは1つのことを丁寧にやった方がいいという当たり前ながら、難しいことです。

これはデンマークの生活で私が考えたい「幸せとは?」、「自分は何がしたいのか?」。そんなところにも繋がるところなんじゃないのかと思います。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。来月もデンマークでの生活で経験したことを書いていきます。

【おまけ】アフタートリップでかかったお金

おまけですが、1週間でかかったお金を紹介します。1週間目は学校の学費に含まれているため、個別のお土産代や食事以外のお金はかかっていません。

2週間目のヨーロッパ旅行ですが約10万円です。だいぶ安く行けてるんじゃないかと思っています。下の画像は、3人分の合算費用でメモをしているため、3人分を割る必要があります。そうすると、約8万円です。細かい費用はメモしてないので、約10万円と計算しています。

値段を抑えられた理由としては、バスでの移動が中心で、3人で泊まれる安いホテルを選んでいること、仲介業者やツアーを使わず事前に直接予約をしているところが大きいと思います。

notionを使ってまとめています。



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