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【ウイスコンシンの旅 】 昔のペンパルに会いに

【はじめに】

    SNSがなかったら絶対に会うことは出来なかったアメリカのペンパル、マリアとの回想録です。マリアと文通を始めた昭和の時代、海外旅行は私にとっては、まだ夢の世界でした。ぜひ、最後までお付き合いください。


 ー楽しい海外文通ー

    1970年代、私が中学生のアナログ時代、クラスの中では海外文通が流行り出した。私もアメリカ人のペンパルが欲しいと思った。特に英語が得意なわけでもなく、ただ見知らぬ国の違う言葉を話す外国人に興味があったから。

   しかし、当時の英語教育から私が英文の手紙を書けるわけもなく早速、書店に行って [ 楽しい海外文通 ] という本を買ってきた。そこには自己紹介から始まって、趣味やら何やら項目別に、文通をする為の例文集が英語でたくさん書かれていた。楽しそうだな、と思った。スマホもファミコンも手元にない時代。可愛いもんだ。

   その本の巻末には海外のペンパルを紹介してくれる日本のエージェントの住所がいくつかあって、私はまずそこに手紙を出した。

    数日後、そのエージェントから返信が来た。封筒の中にはタイプライターで書かれたペンパルの名前と住所があった。米国ウイスコンシン州にあるケノーシャというところに住むマリアという女の子だった。

  早速、授業で使っていた地図帳でケノーシャを探してみた。アメリカの5大湖の1つ、ミシガン湖沿いに見つけた。当時、「ミュンヘン 札幌 ミルウォーキー」とビールのCMソングで名前を知っていたミルウォーキーの南にケノーシャはあった。


     ー どんな所だろう。そこに住むマリアはどんな子かな ー

  マリアからの手紙を初めてもらったのは、私が例文集を丸写しした手紙を送って数週間した頃だった。私はエアメール用に赤と青で縁取られた素敵な封筒を使ったのに、彼女からの手紙は普通の白い封筒で、その上にAir Mail と赤いスタンプが押されていた。

   驚いた事にマリアは字が下手だ。アルファベットがぎこちなく震えてる。私より何年も長く書いてるABCだろうに、私の方が全然上手い!と思った。

   でも、すごく嬉しかったんだ。何度も読み返したのを覚えてる。この手紙は太平洋をはるばる渡って来たんだなあと匂いまでかいでみた。

   そんなこんなで、同い年のマリアとの手紙の交換がしばらく続いた。マリアから送られて来たポラロイドの正方形の写真や、小さなダンボール箱にギッシリと詰めて送られて来た甘過ぎるチョコやキャンディには衝撃を受けたりもした。少し溶けかけたそれらを頰張りながら、「これがアメリカかー」なんて思ったりした。私もお返しに日本らしい、こけしの人形や綺麗な和紙で出来た風船を送った。

   しかし、高校に進学する頃には、もはやもう書く事が無くなってきた。というか気のきいた事が書けないのだ、英語で。例文集をちょっとアレンジもしてみたが、もうし尽くした。しばらくは、お互いのお気に入りアイドルの写真を雑誌から切り抜いて交換しあった。彼女は今は亡きデヴィッド キャシディ、私はベイシティローラーズが好きだった。

   こうやって、どちらからともなく[ 楽しい海外文通 ] は終わった。ほんの数年間の何通かの手紙のやりとりだったが、後の私の生活の中で [ウイスコンシン] と聞くとマリアを思い出す自分がいた。

  

    ー SNSの時代 ー

   そんな私も、いつしか家庭を持ちハワイに移住していた。手紙で書くのに苦労した英語がすっかり日常会話になっていたある日、何気なくマリアを懐かしく思いSNSで検索してみた。

   すると、まさかと思ったマリアの名前があったのだ。苗字は結婚して変わっていたけど、彼女の旧姓をミドルネームに使っていた。そして、そこにはあの中学生のマリアの面影をそのまま残した女性が微笑んで写っていた。

   マリアだ!私はすぐさま彼女のサイトに「15才の頃、日本にペンパルいましたか」と英文で送信した。返事はもう私の予想通り。再度、私達がつながった瞬間だ。

   マリアのSNSサイトによると、高校時代の同級生と結婚した彼女は、私と同じように大学生の女の子の母親になっていた。住む場所はもうウイスコンシンではなく隣の州にあるシカゴでエンジニアとして働いていた。彼女がSNSにあげる内容は、趣味が多彩で見るのが楽しかった。お互いの記事に「いいね!」の Likeボタンを押したり、誕生日にはお祝いのメッセージを送りあったりした。

  

    ー 令和がやって来た ー

   私の娘は大学のバレーボール部に所属していた。昨年、そのチームが試合を勝ち抜き、全米上位で、競い合うチャンピオンシップ大会に出場する事になった。

   開催地はなんと驚くなかれ、マリアの故郷ウイスコンシンに決まったのだ。もしも大会に出場できたら私達家族は、チームの応援をしに行く予定だったので、それからは慌ただしくなった。フライトの予約、ホテルの手配、そして冬服も用意しなければならなかった。

   時は12月、冬のウイスコンシンはかなり寒いと思い、暖かそうなダウンジャケットを買った。ハワイに長くいると冬服を着るのが、とても楽しみになる。私はクローゼットにしまってあったロングブーツも引っ張りだした。

   さて、マリアはどうしよう。

   もちろん彼女に会いたい。でも、マリアは今シカゴに住んでいるし仕事もある。もし会えたところで、彼女の話す英語のアクセントがきつくて聞き取れなかったら間が持たない。だけど、これを逃したらもう2度と行く機会はないだろうと色々な思いが頭をかけめぐった。

   取り敢えず私は自分のSNSサイトに、娘の試合を応援しにウイスコンシンに行くと載せた。

   出発の日、重いスーツケースを持ち上げて自宅を出ようとしたその時、携帯がテキストメッセージを受信した。なんとマリアからだった。「試合はいつあるのか。都合がついたら一緒に食事に行こう。ホテルを教えてくれたら車で迎えに行くから」と。


   ー 感激のマリアとの出会い ー

   ウイスコンシンは想像以上に寒かった。雪こそ降っていないが、空はどんより白く気温はたったの1 度しかなかった。ハワイに長いこと住んで開ききった全身の毛穴が、一瞬にして「ギュッ!」と閉じた感じがした。

   到着した翌日の金曜日、私はホテルのロビーでマリアを待っていた。それほど広くないロビーには私の他に誰も客はいなかった。エントランス付近のソファに座り私はワクワク落ち着かない。目の前には真っ赤なポインセチアの花が、私の横には暖炉の暖かい火が燃えていた。

   すると、正面玄関にベージュのセダンが滑り込んできた。

   マリアが来た!

    白い息を吐きながらこちらに向かって歩いてくる。自動ドアが開いた瞬間、私は立ち上がった。

   微笑みながらお互いの名前を呼びあった。 それからは長い長いハグ。お互いの手で、お互いの背中をさすりながら......。

   私の目もマリアの目もいつしか、涙でウルウルしていた。15才で知り合ってから、何十年も経てやっと会えた。日本人と白人のおばさん2人が抱きあいながら涙する絵面を、フロントの人達は不思議そうに見ていたっけ。


   冬枯れのウイスコンシンの町をマリアが運転する車に乗りながら、「人生って面白いな。長く生きていればこんな事も起きるんだ」なんて思った。私の知らない町を、初めて会った彼女と今、一緒に走っている。私の知らない初めての感情だった。

  

   ガラス張りで出来たモダンなレストランは天井が、すごく高くて気持ちよかった。マリアお勧めの、こんがり揚がったチーズカードに、レッドソースを付けて食べながら私達はいろんな話をした。ラッキーな事にマリアの話す英語は、とても聞き取りやすかった。頭のいい彼女も私の日本語なまりの英語を、聞き返す事なく理解してくれた。

  ニコニコしながら、「今日はシカゴから2時間半かけて運転して来た」とマリアは言った。車社会のアメリカと知ってはいたが、それをサラッと言うマリアも凄い。わざわざ、私のためにと思いお礼を言うとマリアは続けた。

 「あなたこそ、ハワイから来てくれてありがとう」と。

   昔の文通の話になった時は、私が送った英語の手紙はよく書けていた、と褒めてもくれた。でも、流石に例文集を写したとは言えなかったな。それから、ウエイトレスに頼んで私とマリアの記念写真を撮ってもらい、レストランをあとにした。

    外は相も変わらず震え上がる寒さだった。

    通りをはさんだ向かいにウイスコンシン州会議事堂があった。マリアは有名な観光スポットなので見に行くかと誘ってくれた。寒がりの私は氷の中を歩くようで、一瞬ためらったが目の前にそびえ立つ白い宮殿のような建物はとても魅力的だった。

   そこへ向かう途中、気が付いたのだがマリアは片足をちょっと引きずって、腰を少し捻りながら歩いていた。それでも、私のために一生懸命、案内してくれるマリアの気持ちが心に沁みた。

   議事堂の中に入って驚いた。建物中央の吹き抜けには巨大なクリスマスツリーが立っていた。歓声をあげるくらい、それはとっても美しかった。御影石で出来た天井のドームに、もう少しで届かんばかりのそのツリーには色とりどりのライトや、隙間が見えないくらい、たくさんの綺麗なオーナメントが下がっていた。

  「これ、子供達が書いたのね」

    マリアが指差す先には、子供達が紙で作ったらしいオーナメントも飾ってあった。それぞれには、かわいい絵と一緒に、彼らの祈りや夢が書いてあった。

  それらを見ながら子供たちの夢が叶うといいな、と私は思った。

私がマリアに会えたように......。


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 【追記】

   最後まで読んで頂きありがとうございます。ウイスコンシンでは、本当にいい思い出ができました。先日、占い好きの私はサイトで【あなたのソウルメイト】を占ってみました。私の誕生日を入力すると、私のソウルメイトの誕生日が出てくるものです。鳥肌が立ちました。それはマリアの誕生日でした!




































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