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息子

子どもが複数いると、
同じように育てたつもりでも
まったく違う仕上がりになるのは
当然といえば当然なんやけど、
なんでこうなった? って
すごく不思議なのが、長男。

10歳上のお姉ちゃん、
6歳上のお姉ちゃん、
ひいおじいちゃんとひいおばあちゃん、
両親と犬からさんざん甘やかされて
かわいがられてきた。
実際、かわいかった笑

(いや、犬からも、っておかしいやろ、
 って思われるかもしれないけど、
 犬ってちゃんとわかってるよね?)

でも中学生になるときに親が離婚したと同時に、
コロナ禍に入って、
授業はリモートで登校しない影響もあったのか、
年齢的なものもあったのか、
とにかく環境がガラッと変わってしまい、
部屋にこもってずっとゲームをするようになった。
私は仕事で、家に親がいないから
学校はさぼる、
なんとか登校しても勝手に帰ってくる、
みたいなのが常態化してしまい、
このままでは行ける高校がない、
というところまでになってしまった。

実際、一回目の試験は落ちてしまい、
なんとかセカンドチャンスで今の高校に
入ることができた。

入れる高校があるだけ
ありがたい、と思っていた。

高校生になって、
野球がしたい、野球部に入ろうかな、
って言いだしたときは驚いた。
小学生の時は野球が好きで、1年生のときから
少年野球チームに入ってがんばってたし、
(中学の時は一応バレー部にはいたけど
 ほとんど練習も出ていなかった)
中学の時も、野球を続けたかったみたいやけど、
そんなにうまくもない自分が、
っていうのもあったみたいなので、
「野球は上手な子しか
 やったらあかんわけじゃないし、
 頑張れるなら頑張ればいいやん。」
って、正直、野球部はグローブとかスパイクとか
ユニフォームとか、お金がかかるので、
厳しいなとは思ってたけど、
うちの親が、孫がまた野球をすることを
すごく喜んでくれて、
そっちの面倒も見てくれたので
非常に助かった。

部員が15人ほどのこじんまりした、
さほどきつくない環境ではあったものの
遅刻もしょっちゅうしていたし
さぼってたこともあったと思う。
部長先生も監督も、中学のときの状況をご存じで、
理解をしてくださってはいたけれど
親としては非常に申し訳ない気持ちで
いっぱいやった。
けど、本人なりには一生懸命がんばって、
楽しく活動できていて、
私も、うちの親も、毎週末にある
練習試合にはすべて見に行って応援していた。

でも、ある日、先輩とケンカをしてしまい、
(原因は、息子に落度はない理不尽なやつ)
そのときは一旦先生が間に入ってくれて
おさまったみたいやけど
結局そのことがきっかけで、
部活動をやめてしまった。

何度も考え直したら? って話をしたし、
80歳を過ぎて、孫の応援をできるのが
本当に幸せって言ってくれてた
うちの親の気持ちを考えると
心苦しかった。

でも、本人にその気がないのを
無理強いできるわけもなかった。

朝練があるから、なんとか行けていた学校も、
朝練に行く必要もなくなって
遅刻が増えて、欠席日数も増えて、
中学のときの二の舞になるのでは、と
ものすごい心配したけど、
私も仕事をして家族を養わねばならんし、
ずっと家にいるわけにもいかん。
息子がぐずぐずしていても、
会社には遅刻できんので、
「遅れんように行ってよ」
と言い、出勤するしかなく、
そうなると息子はぐずぐずし続ける。

定期テストの日でさえ遅刻してしまい、
テストを受けてない教科もあった。
高校には留年がある、ってのは
もちろん分かってはいても、
ぐずぐずスパイラルから抜け出せず、
うちの親や妹に頼んで学校まで
連れていってもらったことも何度かある。

毎日担任の先生が電話もしてくれて
一生懸命支えてくださったおかげで
なんとか進級できた。

で、先日、三者懇談があったのだが、
その場で、相変わらず遅刻も欠席も多く、
学業もまったくパッとしないなか、
というか夏休みの補習も受けないと
いけないような成績で、
部活をがんばるわけでもなく、
高校生活をぼんやり過ごすのは親としては
非常にもったいないと思っている、
という話をした。
この年齢でしかできないこと、
というか、感じられないこと、
っていうのは絶対にあると思う。
のちのち同じことをしたとしても、
この年齢でやるからこそ意味がある、というか、
そのときにするからこそ財産になるというか。

担任の先生はまだ若くて、
うちの長女と同じ年とかそんなやけど、
まあいまどきの生徒は、そんな子も多いですよ、
って言いながらも、息子にあれこれと
今の気持ちなどを聞いてくれた。

野球が好きなんやったら、
やってみたら? って言う話もしてくれた。

その少し前に、野球部の県大会に、
応援に行った話を聞いてはいたものの、
もう絶対野球部には戻らない、って言ってたので
希望薄やなあと思いながら聞いていた。

懇談が終わって、
たまたま野球部の部長先生に会った。
ずっとお世話になっていたのに、
退部するとき、本人が勝手に退部届を出して、
私は先生にきちんとご挨拶ができなかったので
電話で話した程度だった。
先生がいなくても、と事務室に
お礼と野球部への差し入れを届けたときに、
ちょうど部長先生が通りかかられたので、
少し話をした。

社交辞令かもしれんけど、
「新チームになってからでも
 いつでも戻ってきてください。」
って言ってくれた。ありがたかった。

で、家に帰ってから、息子にその話をしたら、
2日後には、「僕、野球部に戻るわ」
と言ってきて、驚いた。
本人も、ずっと戻りたいと
思っていたのかもしれない。

それから、先生に自分から電話をして、
先生と監督に話をして、戻ることを
許可してもらった。

ケンカをした先輩が引退したとたんに、
戻るっていうことに
少々引っかかるところはあるけど、
本人が試合に出してもらえなくても
がんばる、って言っているし、
練習も遅刻しないしさぼらないし
絶対にやめないっていう条件で
戻らせてもらったようなので、
今度はそうあってほしい。

部員がどう受け止めてるのかは
私にはわからないけど、
保護者の皆さんは、さっそく連絡をくれて、
うれしい、よかった、って声をかけてくれた。

こうやって、私が持て余していても、
周りの人のやさしさとか愛情で
戻れたってことに感謝しかない。

今日は、息子が少年野球をやっていたときの
チームメートの母たちと久しぶりに会って
ランチをした。
毎週末、練習や試合で一日中ずっと一緒にいたし、
それがなかなかハードで
しかも、父母それぞれに役割があって、
いわば家族総出でがんばらんなんのを
うちは元配偶者が全く協力してくれなかったので、
その分をほかのお父さんが埋めてくれて
肩身も狭かったけど、そんなん気にすることない、
って逆にいつも愚痴を聞いて励ましてくれていた。
最後まで残ったのは3人だけやったんやけど、
いずれの母もすごく愛情深くて、
お互いに助け合ってきた仲なので
普通のママ友とはまた違う特別な人たち。

たまたまこの学年は、母同士のいざこざが全くなく今でも良い関係でいられるのがありがたい。
そして、いつまでもお互いの子どもたちは、
自分の子どもと変わらないくらいかわいい存在で
子ども達の近況報告もたっぷりしあう。

うちの息子が野球部に戻った、
って話をすると、ふたりともとても喜んでくれた。
ありがたすぎる。

時間がかかったけど、
一度挫折しても、やり直せばいい、
っていうことを本人が身をもって
体験できたのはよかったし、
いろんな人が助けてくれてる、
っていうことにもきちんと気づけたと思う。

私も息子が部を辞めたとき、
自分の負担が全て無駄になってしまった気がして、それを感情的に言ってしまって、
息子を傷つけてしまってたかもしれんという
気持はあったので、
戻ってくれて、正直ほっとしている。
親は、子どもに見返りを求めるもんじゃないのに、
こんなにお母さんはがんばってるのにあんたは、
って思ってたところはある。

自分には足りないところや
親として至らないところがあるけど、
その部分の欠落は、
周りから助けられて埋めてもらっていることを
私も改めて肝に銘じなければ。

息子、がんばって。












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