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思い出さないから、思い出にならない

建物が壊されて、新しい建物が建った途端に前の建物を思い出そうとしても思い出せなくなる。あのアパートが建つ前何があったけ?となって思い出せない。

それと同じように、自分の前の顔が思い出せない。10年前はどんな顔をしていたのか、高校生の時はどんな顔をしていたのか思い出せない。覚えているのは写真に写っている顔だけだ。

なら鏡をみて今の顔をちゃんと把握しているのか?と聞かれたらそれも怪しい。その証拠にほかの人が撮った、カメラを意識していないときの顔の自分はいつも知らない人のように見える。

いつも一緒にいない家族の顔も、友達の顔もマジマジと見ると知らない人に見えてくる。母はこんな顔だったのかとか、友人の腕はこんな毛だらけだったのかとか。

祖母が亡くなってから数年経つ。手先の器用だった祖母にマフラーを編んでもらったことがある。

色も毛糸もわたしが選んで編んでもらったのに、出来上がったそれは重くて不恰好だった。丈も微妙だった。毛糸の玉から出来上がりを想像するのは子供には難しかったのだろう。

初めての孫からの注文に祖母は喜んで作ってくれた。それはよくわかっている。でも、ダサいから身につけて出かけたくない。結局、私のとった妥協案は家を出る時はつけて、外に出たら外してカバンに入れるというものだった。

そのうち、祖母を気づかって一応身につけていたことすら忘れて、マフラーは使われないまま玄関に放ってあった。あのマフラーはいつ処分したんだろう。

大人になった今では、子供っていうのは気に入ったり気に入らなかったりするものだってわかったから、祖母もそんな私の態度をあまり気にしてなかっただろうなと思ったりする。

でも、その時は自分が喜ばないことが祖母を傷つけるんじゃないかなと思っていた。祖母は傷ついたのだろうか?分からない。祖母が何を言ったか全く覚えていない。

マフラーもダサかったことしか覚えていない

おわり

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